第6回 公園再生、地縁団体、そしてコミュニティづくり~住民の高齢化に伴う課題~


今回は、活発に町内会活動に取り組んできたが、現在の少子高齢化に直面し悩む住宅団地と、年寄りの町と言われてきたが若返り始めた町、という二つの対照的な地域の物語を紹介します。前者の事例は広島市南区仁保一丁目の仁保旭が丘町内会、後者の例は南区向洋大原町の向洋大原町内会です。

先ず仁保旭が丘町内会の例です。仁保旭が丘は黄金山山麓の段々畑だった土地に開発された住宅団地です(イメージ写真参照)。1964年に第1期工事が始まり、1972年に110世帯が入居し、1980年に278世帯ですがまだ増加します。1998年には330世帯で現在の規模の町になり、すでに高齢世帯は増加していました。1972年に仁保一丁目町内会と仁保二丁目町内会ができたものの、それは1977年に4つの町内会に分割されて、その一つが仁保旭ヶ丘町内会になりました。

仁保旭ヶ丘町内会では、1977年から町内会・青壮年会・子ども会育成会が組織化され、新しい町づくりが始まりました。1980年には婦人会も結成され、子供会会員は116人の若々しい活気に満ちた町になりました。1987年には朝日ヶ丘会館(集会所)が落成し、町内会ができた1977年からの10年間で現在の町内活動の基礎がほぼでき上りました。その後、町内会のさまざまな行事が活況を呈するようになりました。

1998年に町は現在の規模で高齢者世帯は増加していましたが、10年後の2008年には独居老人世帯が増加し、町外への転出が増加し、新世帯の転入もありましたが更地が現れ、子供会は9世帯13人にまで減少しました。少子高齢化現象が如実に現れています。高度経済成長期に開発された団地特有の問題です。とりわけ黄金山の山麓にあるため、傾斜地の道は年寄りに負担が大きく、またこう配のために建坪が小さく、二世帯住宅を造りにくいので、高齢世帯が転出する一因になっています。

さて住民は団地に入居して以来どんな町を目指したのでしょうか。入居した住民は黄金山の下にある元々の漁村から来た人たちや、広島県内から来た人たちから成っていました。新興団地としてゼロから出発しコミュニティとして一体化したいとの願いがあり、旧村への同化を住民に求めました。新しい町づくりのために町内会、親交会(老人会)、青壮年会(中学生以上の世帯が加入)、子ども会育成会などの4団体は、それぞれのイベントを企画して、町民の一体化を図りました。新興団地であるが故に、竈(かまど)神社の子供神輿、仁保姫神社のたわら神輿、獅子舞などの伝統へ愛着やあこがれがあり、それぞれの祭りが「祭り委員会」によって実施され、それは町民の一体化の願いの表れでした。

町内の4団体によるイベントの豊富さは、学区の中でも以下のように群を抜いています。町内会は総会・公園清掃、町内運動会、盆踊り、こども神輿、学区町対抗運動会、敬老会、成人の日。親交会は総会、公園清掃、敬老会、旅行、友愛活動、子供会との交流、作品展示会。青壮年会は総会、公園清掃、レジャー企画、盆踊り、年末夜回り。子供会は総会、公園清掃、フットボール、ソフトボール、盆踊り、子ども神輿、ラジオ体操、送る会。祭り委員会は田植え、子ども神輿、獅子舞、稲刈り、仁保姫神輿奉納、注連縄づくり、餅つき大会などです。このような行事の数と多彩さに誇りや愛着を持つ町を築いてきました。

そして少子高齢化が進む現在、町の課題が町内団体に現れています。町内の各団体役員の年齢層と問題点は以下の通りです(2010年時点)。町内会は57~73歳、3年前に世代交代したが60歳以下6人、兼任が多い。親交会は65~83歳、人材不足、新役員が誕生しても続かない。青壮年会(80世帯で町内世帯の23%)は37~60歳、若手不足、55歳以上が大半。子供会は30~37歳、加入世帯数7で会員10名、毎年役員を務める親や非加入の世帯が増加。祭り委員会は30~83歳、上記4団体の役員が兼任。各団体の課題は役員の高齢化と兼任です。兼任のために役員は忙しく、年間通して週末は団体の活動に参加しています。団体が硬直化していると感じる役員もいます。

この町の事例で良く分かるのは「町は変化する」ということです。住宅団地としてゼロから始まり、住民がコミュニティづくりに熱く取り組み、行事の豊富な町ができたものの、少子高齢化の波によって、町づくりの主体である各団体の持続性が課題になりました。「町が生まれて成熟し高齢化する」という現実に対して、今後は再生に向けて如何に対応するか、住民の知恵とそれを支援する政策が求められています。どこでも町が発展するには何らかの課題(試練)とその克服が必要でしょう。この町も高齢化の課題を経て7年後の現在は、克服の努力がされていると思います。

大原会館集会所と付近の街並み

黄金山の仁保旭が丘とは対照的な町として、猿猴川をはさんでその東側に位置する南区向洋大原町の例を紹介します。向洋大原町は昔からの古い町で平地にあります。向洋大原町内会には2010年に312世帯が加入しています(未加入はアパートの7軒のみ)。マンション住民も加入し、町内会加入率は97%でした。人の移動のない閉鎖的な土地で「年寄りの町」と言われていました。高齢化率は65歳以上で30%程度、80歳以上は60人以上です。大原向友クラブ(老人会)は129名、子供会は39名です。町内会は2005年に新体制になり、社会福祉協議会が提案した「福祉の町づくり」に積極的に取り組んでいます。

この町には新しい家が増えています。亡くなった人の家と転出した人の空き家の土地を合わせて土地区画を広くして、新しい家が建てられて転入するケースもあります。若い人が引っ越してきて子供が増えています。町は平地にあるので転入しやすいのでしょう。年寄りが多い町なので、後10年するとより若い町になると考えられています。

向洋大原町内会が「福祉の町づくり」で最も力を入れているのは、高齢者福祉と子供の健全育成です。高齢者福祉は大原向友クラブが主体になり、月1回の役員会、月1回向洋公園の掃除(30人位参加)、年3回の誕生日会(ビンゴゲーム)、週3回グラウンドゴルフ、月2回のパークゴルフなどを実施しています。80歳以上の人を年に1回町内会が食事会に招待しています。この食事会や月に1回開催する高齢者中心の「いきいきサロン」では、ボランティアグループ「あい・大原」が食事の準備をして活躍しています。また老人が施設や病院に行く際には、町内会長に紹介されたケアマネージャーが相談に応じています。大原会館(集会所)にカラオケ装置を設置して、誕生日会やカラオケグループの活動を支援し、一人暮らし高齢者の支援のため緊急災害マップを作製しました。

二番目の重点は子供の健全育成です。一時子供会が6人にまで減少したこともあり、2005年に町内会と子供会が話し合い、子供会の未加入、子供会会費、役員選出などの問題の改革に取り組みました。その結果、①会費は1人1000円にして、②小中学校入学時に祝い金を提供し、③小学校入学時に防犯ベルを提供し、④花見の会(子供会・保護者・町内会役員・ボランティアが参加)で子供会への入会を依頼する行事を開始。⑤子供会の前年度の役員はできるだけ残ってもらい、新しい役員と共に次年度の行事を担うこと。⑥町内会の強力なサポートとして、球技大会では町内会からコーチを派遣、盆踊りの夜店では向友クラブとボランティアグループ「あい・大原」から人的支援、クリスマス会の食事を「あい・大原」が費用負担して作り一緒に食べる。⑦町内会から子供会へ必要に応じて種々の補助金を支援することなどです。

これらの町内会の支援により、2007年3月に子供会が34名に増加し(未加入者1名)、保護者は役員を引き受けて、2009年に子供会は39人になりました。さらに子供会では、祭りで地の踊りができるように、お母さんに盆踊りを教えています。このようにして子供会のお母さんを取り込んで地域に親しんでもらうのです。「あい・大原」は地域の子供と母親に積極的な声かけと見守りもしています。

高齢者福祉と子供の健全育成の外にも、町内会は町民の要望に応えてきました。毎月の町内清掃、ゴミの分別、海岸防潮壁の老朽化に伴う浸水、急傾斜地の雑草、犬の散歩に伴う糞害、防犯、電話詐欺、災害に対する安全などの対策です。「継続的に行う事業を除いて、町内会はすることがなくなった」と町内会長が言うほどです。

このように向洋大原町は若返りつつあります。町内会長のリーダーシップとボランティアグループの存在が大きな役割を果たしています。

次回連載第7回は、既存の町内会の在り方に反発した、二つの町のグループが辿った対照的な物語を紹介します。(中島正博)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA