たまには私自身のこと

私は2年前に大学の教員を定年退職しました。専門は、「国際開発(international development)」と呼ばれる途上国の開発問題を扱う分野の中でも、地域の開発と自然資源利用の在り方を研究する内容でした。自然資源の利用管理はいわゆる環境問題にも結びつきます。コミュニティの伝統や文化や政策が、開発の成果や自然環境保全に大きく関わっていることに関心がありました。そのような関わりからcommunity based development、つまりコミュニティに根差した開発という概念が生まれました。人間社会の重要な側面として、地域コミュニティに関心を持ち、定年退職後はこの「コミュニティづくり研究所」の活動に繋っています。

中学生の頃から国際開発を目標に突き進みましたので、退職後は関心のあることを広くいろいろ経験したいと強く思い、先ずボランティア活動と今後の私の生活を支える体づくりに精を出すことにしました。そのボランティア活動の中で一番時間を費やしたのは監訳活動でした。アフリカのアンゴラのダイヤモンド生産量は世界有数ですが、その生産現場には無数の殺人・暴行などの人権侵害と政府の腐敗が隠れており、それを告発したアンゴラ人ジャーナリストが出版した書籍を翻訳する友人(NPO法人ダイヤモンド・フォー・ピース代表)の活動に加わりました。何人かで翻訳をするために、それを監訳する活動が不可欠です。翻訳のみならず、監訳の役割を頼まれ引き受けたために、全員の翻訳に目を通して読み易くする作業を続けました。そうして今年の7月に出来上がった書籍はラファエル・マルケス・デ・モライス著『ブラッド・ダイヤモンド~ダイヤモンドをめぐるアンゴラの腐敗と苦悩~』です。このタイトルをクリックしてご覧頂ければ幸甚です。このボランティア活動は1年以上続きました。日本は世界第4のダイヤモンド消費国なので他人事ではありませんね。

二番目のボランティア活動は、昨年4月に起きた熊本地震の被災地の一つ、南阿蘇村に1週間滞在し、福祉施設の管理のお手伝いをすることでした。仕事に危険は伴いませんでしたが、揺れは毎日のように続いていました。退職前の東日本大震災では、ゼミの教え子や多くの学生が、ボランティアとして東北へ出向きました。しかし、広島と東北の距離は私には遠すぎました。それは言い訳ですが、熊本でお役に立つことが出来たので悔いはありません。

三番目のボランティア活動は、ヒロシマピースキャンプと呼ばれるものです。広島市が被爆した8月6日に合わせて、広島市を訪問する人たちが泊まれるテント村と食事、ヒロシマを考える機会などを提供し、さらに被爆地や宮島を案内するものです。長い準備期間の間に議論し計画を練り上げて8月6日を迎えます。これは広島市主催の活動に市民として協力しますが、昨年参加して若い人たちが中心であることが分かり、高齢者である自分の立ち位置に迷いがあり、今年は他の用も多かったので無理をせず参加しませんでした。

四番目のボランティア活動は、福岡県で行われたコミュニティダンスのワークショップのお手伝いでした。以前、同じコミュニティダンスのワークショップの受講者として、二度お世話になったので、恩返しの気持ちと、復習をするメリットを期待して活動しました。これは楽しい類のボランティア活動でした。

定年退職後の生活に必要なのは「今日用(教養?)があることだ」、という定説に背中を押されながら、その他にも小さなボランティア活動をしました。定年退職初年度は以上のように、いろいろなボランティア活動を見つけて参加しました。二年目は登校児童の見守りが加わりました。

いろいろな活動を経て、そして今年、やっと計画していた「コミュティづくり研究所」の活動を開始したのです。それは退職前から計画していたことです。ホームページ作りやそれを管理する技術を持たない私は、ホームページ作り専門の会社に相談したり、技術やアイデア面で先端を行く私の甥に相談したりしました。結局コストを主に考え、コンテンツは私が責任を持つことを条件として、私の甥に技術面の「助っ人」を頼みました。そしてホームページのコンセプトやデザインを決めて、今年の5月にやっと公表することができました。

現在、心身の健康づくりとホームページ作り、実際のコミュニティづくりの行動、などをしながら日々の生活を送っています。心身の健康づくりとしてほぼ毎日、近くのスポーツジムで2時間程度の運動をして、フルートの楽器の練習もします。そして現在、一週間に1本の割合で記事を送り出すために、そのテーマや内容と構成などを考えて発信しています。これだけで、すでに一日の時間は不足気味ですが、工夫をして今後は調査活動を含めてコミュニティづくりの行動に更に力を入れたいと思います。

コミュニティの希薄化はまだ進行しており、怪物に挑むような私のコミュニティづくりの発信がすぐに効力をもつとは思いません。しかし人間の知恵を開発し普及することにより、少しずつでも未来が良くなることを願って努力する他ありません。このような活動はマイノリティかもしれませんが、既に日本や世界に多くの同志が存在しています。「希望」を無くし「前進」を止めたら、私と子孫のためにならないと思っています。このホームページをより有意義なものにするため、皆さんのコメントや叱咤を頂ければ幸いです。(中島正博)

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