人間と熊の共存そして農村コミュニティの役割

京都府南丹市美山町かやぶきの里(2019年5月筆者撮影)

今年は東北地方で熊の目撃や人身被害が急増し、最近は連日のようにニュースで報じられています。秋のスポーツ大会やイベントも中止されています。熊による被害は毎年ありますが、今年は東北5県のどんぐりの大凶作が主要な原因でしょうか、人身被害は岩手県で35件36人(11月2日現在)、秋田県で54件61人(11月4日現在)になっています。その結果、熊の駆除(殺処分)が多く行われています。このような人間にも熊にも不幸な状況を今後の常態にしないために、両者の共存に近いより良い関係を築くことが必要です。その関係づくりのカギの一つは地域コミュニティの力にあると考えています。

その地域コミュニティの力を示すのが長野県箕輪町の活動です。箕輪町は2025年1月にツキノワグマによる被害防止対策と出没時の対応を定め、野生動物との棲み分けを進めるため、「ツキノワグマゾーニング管理実施計画策定に向けたワークショップ」を開催しました。箕輪町のゾーニングとは、人間とクマの棲み分けとして「人間の生活圏」「両者の緩衝帯」「クマの生息域」の3つに領域を分け、緩衝帯(草刈りや見通しが確保された帯状エリア)を明確にすることで、クマが人里に下りにくく、人も山際に入りにくくすることです。そのゾーニングの実施は自治会が中心になり、通学路や住宅地周辺の藪を刈り死角をなくし、落果(リンゴ・柿など)を週1回回収し、畑の誘引物を除去し、コンポストはフタ付き・ロック付きに変更し、収集日の朝まで生ごみを屋外に出さない、電気柵の通電確認や見回りなどの対策を住民が分担しました。行政は補助金を出して草刈りを支援しました。その結果、箕輪町では目撃件数が2024年度の19件から今年は9件(10月27日現在)に半減しました。

このようなゾーニングは古来の村落社会では、山林資源を収穫する伝統的な里山利用の活動の結果として、自然に存在していました。領域を示す「ゾーニング」は今風の言葉ですが、伝統的には人の生活圏としての「里」、農村の人びとが森林の産物を利用する「里山」、熊を含む野生動物が棲む領域としての「奥山」という3つの領域がありました。人が出入りする里山が熊との緩衝帯の役割を果たしていたので、人里での獣害は近年のように顕著ではありませんでした。しかし農村では農業の近代化とともに里山資源(エネルギーや肥料など)の利用が減り、高齢化や過疎化も進行して、里山に人の姿が激減したので、人間の圧力が弱くなり、野生動物が人里に進出してきました。野生動物を奥山に押し止めていた農村のコミュニティの力、すなわち里山の緩衝作用が弱くなったのです。そして人里の田畑の作物が野生動物に食い荒らされるようになりました。動物は里の領域にある人間の食料の味を覚えました。農村集落では増える獣害を柵などで防ぐ努力が長い間続けられてきました。獣害は里の人口の高齢化とともに耕作放棄や過疎化の原因にもなっています。アーバンベアの出現はこのような野生動物の進出が、人里からさらに市街地にも移った結果と言えるでしょう。

人里で熊の目撃や被害が増えた原因は他にもあります。奥山の生態系の変化や地球温暖化です。戦後の針葉樹の植林によって、どんぐりの実がなる広葉樹が減少しました。近年では風力発電やメガソーラーの建設が森林破壊をもたらしています。積雪地域の温暖化が鹿の越冬率を上げて、鹿の個体数を増やしている可能性が指摘されています。その結果起きているのは、まだ仮説の段階ですが、草食動物の鹿が増加して森林の植生悪化→生物多様性の低下やどんぐりの減少→熊の餌の不足、という森林生態系の連鎖です。鹿の増加は森の生態系の捕食者の頂点にいたニホンオオカミの絶滅も原因であると考えられます。

熊被害の原因はこのように多岐に渡り、従って多くの対策が必要です。農村コミュニティのレベルでは、前述のゾーニングの活動が自主的かつ持続的に実施できる、地域の社会・経済の仕組みが必要です。里山の多様な森林資源を利用すれば、地域経済にもメリットがあります。例えばエネルギー資源や果樹の落果の利用です。さらに中長期的には、農村地域の人口がある程度維持できなければならず、地域振興や過疎化対策も必要でしょう。奥山に広葉樹を増やす森林政策も必要です。また農村や都市の人びとの多様な里山利用を促進することが有効です。熊の出没との兼ね合いは必要ですが、例えばキャンプ、ハイキング、観光農園などエコツーリズムです。都市人口が自然に親しむ活動は里山に人びとを誘引して、弱くなった人間の圧力を再び強化することが期待できます。

猟銃やライフル銃で熊を駆除する個体数管理に頼ると、人里に下りた熊は殺されるので、熊は集団として人間の怖さを「学習」できません。学習しない熊は人里に下りる行動を続けて、熊が人里に近づく習性にブレーキがかかりません。むしろ殺さずに熊に「人間の怖さ」を学習させて、奥山に返す「学習放獣」が西中国山地では実施されてきました。過度な殺処分はすべきではないでしょう。明治期にニホンオオカミを絶滅させた人間の発想の過ちを、熊に対して再び繰り返すべきではないと思います。

近代化や都市化によって人びとが自然から遠ざかったことが、過去数十年以上に渡って獣害が増えている根本原因です。人間にとって望ましい野生動物との距離を取り戻すためには、人間が里山の自然の方に近づいて、野生動物が再び人間の圧力を感じられる関係を回復する必要があると思います。その回復には長い期間が必要ですが、人間の知恵にはその可能性があると思います。(中島正博)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA