「シェアリングエコノミー」~その起源と地域コミュニティの役割

最近の報道によると、総務省は2018年度にシェアリングエコノミーを活用して、地方自治体の課題を解決する取り組みをするようです。

その「シェアリングエコノミー」とは、普段使われていない個人の資産などを、他者が必要とする時にインターネットを介して提供することで生まれる経済活動と説明されています。しかし「個人の遊休資産」と「インターネットを介して生まれる経済活動」に限定すると、シェアリングエコノミーが対象とする資産(資源)の範囲が限定され、今後予想されるシェアリング社会の主体である地域コミュニティが視野に入らないために、シェアリングエコノミーを矮小化してしまい、資本主義の限界を突き動かす可能性が見過ごされはしないかと思います。

時代は大きく異なりますが、狩猟採集社会は広い意味で「シェアリングエコノミー」であると私は考えています。日本で1万年の長きに亘って続いた縄文時代は、人びとが資源を奪い合わず分け合うという、縄文風シェアリングエコノミーに支えられていました。資源を奪い合わない社会ですから戦争もありませんでした。生活資源である植物資源や動物資源が過剰な採取や狩猟で減少すると、その利用を制限して資源の回復を待ちました。それを可能にしたのが人びとの過剰採取を抑制する知恵であり共生の文化でした。資源を分け合い、過剰利用を相互に抑制し合うことができたのは、人びとが共に生きるコミュニティが存在していたからに他なりません。資源を過剰利用する現代社会に生きる研究者たちは、そのような知恵を学ぶべく縄文文化の研究を重ねています。

このようないわゆるシェアリングエコノミーは近世の資源利用にも見られます。良く研究されているのは、山林の利用を農民も支配階級も持続的に共に利用する「入会(いりあい)」制度です。山林から資源を持続的に採取し利用するための細かな取り決めが発達しました。不作に困窮した貧農には山林の資源を利用できる「保険」の役割も認められていました。このように地域社会のコミュニティの力(制度文化)は、自然資源を持続的に利用して互いに共存することを可能にしました。つまりコミュニティと自然資源の保全的利用は相互に不可分の関係にあります。地域の資源を分け合う知恵は、ローカルなコミュニティの人びとが共に生存するために、人間にとって必要な言わば「人類の生きる知恵」と言えるでしょう。そのような制度は日本で入会と呼ばれていますが、世界に広く存在しており、一般に「コモンズ」と呼ばれています。それは現代のシェアリングエコノミーに繋がると思いますので、次回の記事で紹介します。(中島正博)

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