SDGsの達成(1)~世界の貧困は削減できるか?

出典:トマ・ピケティ『資本とイデオロギー』(2023年)

SDGs「持続可能な開発目標」は2030年までに極度の貧困を世界から無くすこと、各国の貧困状態の人口の割合を半減させること、国内および国家間の格差を是正することなど、多くの目標を掲げています。国際社会は国連において2015年にSDGsに合意したが、2030年までにそれらの目標を達成できるでしょうか。実は国連は1960年から、数次に渡る「国連開発の10年」、「貧困撲滅ための国連の10年」、「ミレニアム開発目標」MDG(2001~2015年)等を通して、世界の貧困の削減に取り組んできました。しかしいずれも所期の目標は達成できなかったため、目標年次を将来に更新することを繰り返して現在に至りました。何度挑戦しても実現できない目標を、国連は何度も繰り返して掲げているように、私には見えます。世界にBRICSのような新興工業国は現れましたが、実際に世界の貧困や経済格差は緩和しているのでしょうか。

そのような疑問に誘われて、経済格差や不平等に関する研究の第一人者、トマ・ピケティの著書『資本とイデオロギー』を読みました。その本の中に多くあるデータの一つが冒頭の写真「世界的な格差の増大」と題するグラフです。国民所得に占める上位10%の人びとのシェアは、1980年には世界各国で26%から34%だったのが、2018年には34%から56%に増大して、経済格差は拡大しています。また発展途上国であったインドや中国では、この約40年の間に格差の規模が拡大しています。つまり世界の人びとの経済格差は過去から現在に至るまで、縮小するどころか拡大しています。またその格差の規模は小さい方から、ヨーロッパ<中国<ロシア<米国<サブサハラアフリカ<インド<ブラジル<中東という順です。発展途上国の方が格差の規模が大きくなっています。

SDGsは貧困削減や格差縮小を掲げていますが、経済格差はピケティの統計が示すように過去から現在にかけて拡大しているのです。この傾向が世界的に変わる兆候はありません。ということは、政府がSDGsの旗を振っても、「わが社はSDGsに取り組んでいます」と企業が宣伝しても、2030年のSDGsの目標は世界全体として達成できないことは、今の時点で明らかです。SDGsは貧困や経済格差の外にも、気候変動や環境などの目標を掲げていますが、それらの目標と貧困は相互に関わり合っています。格差は更に拡大することが分かっているのに、SDGsの旗を振るのは1ミリでも前に進みたいという熱意の表れでしょうか、あるいは世界に貢献するイメージを高めるためでしょうか。

斎藤幸平は近著『人新生の「資本論」』(2020年)の中でSDGsを「庶民のアヘン」と呼びました。SDGsに示された気候変動対策は必要であるが、現在の資本主義経済の仕組みを維持する限り、SDGsに含まれる気候変動は止められない。SDGsは資本主義という気候変動の根本的な原因から目を背けさせる効果しかない、という意味で、斎藤はSDGsをアヘンと呼んだのです。

経済格差はなぜ世界で拡大しているのでしょうか。その理由を突きとめると、SDGsの矛盾が分かると思います。ピケティは1000頁を超す大著の中で、経済格差拡大の歴史的な要因を分析して、その格差解決に向けた処方箋を提案しています。ピケティは著書の中で18世紀フランスの身分社会は、1789年のフランス革命を経て、極度に不平等な「所有権社会」に移行したことを明らかにします。領主・貴族の特権の一部や財産が「財産所有権」として確立されました。ピケティはそれを「所有権社会の発明」と呼びます。財産権とは個人だけが持てる、完全で、不可侵で国に保障される権利です。その発明によって、フランスでは18世紀の封建主義から19世紀以降の「財産主義」のイデオロギーに移ります。フランス革命の直後に、領主・貴族の財産を農民に再配分することを回避して、財産の私的所有を絶対視したのが財産主義のイデオロギーでした。

他のヨーロッパ諸国においても、それぞれの多様な歴史的経緯を辿りながら、財産主義のイデオロギーが確立されました。このイデオロギーは「近代化」の歴史の中で、日本(明治維新)を含む世界の各地に広がりました。資本主義はこの財産主義の一形態であるとピケティは定義しています。そして経済格差が世界で増大している理由は、資本所有つまり私有財産の所有権の絶対化、つまり財産主義のイデオロギーであると彼は考えています。但し、私有財産の制度は税制の変化とともに発達し、幾つかの国では農地改革が行われたり、多くの国で累進課税によって富が再分配されたりして、財産や資産の一部が社会に返却されるようになりました。

ピケティの言うように、世界の経済格差は財産主義のイデオロギーに起因しており、そのイデオロギーが不変・強固であるならば、いくらSDGsを唱えても経済格差拡大の趨勢は変えようがないのではないかと私は思います。貧困は経済格差と同じではありませんが、経済格差の極端なケースです。ピケティは資本主義と私有財産の制度を超克するために、資本・財産の「社会的かつ一時的な所有権」を提案しています。累進課税をさらに強化することが、その手段の一つです。巨額財産の私的所有を永続的なものではなく、「社会」に返却する「一時的」なものにして、資本の永続的な循環を促すのです。公正な所有権は「私的所有」ではなく、「社会所有」であるべきだ、という思想です。

資本主義と私有財産の制度を超克するもう一つの提案は、ドイツやスウェーデンのように、企業の取締役会において資本参加とは無関係に、労働者の代表が議決権を共有する「共同経営」です。これも資本の共同所有であり「社会所有」の形でしょう。ピケティはこれらの制度を「参加型社会主義」と呼んでいます。過去の社会主義や共産主義国家のような、国の中央集権的なトップダウン社会主義ではなく、国民の参加による社会主義です。世界で経済格差が拡大する危機的な問題を解決するために、ピケティが『資本とイデオロギー』の著書で提案しました。

社会主義が貧困や経済格差を解決する唯一のイデオロギーなのかどうか、私にはまだ分かりません。先に挙げた斎藤はコミュニズムの立場からの主張です。ピケティは自身の研究を通じて自分は昔より社会主義的になったと告白しています。但し、両者は社会制度の研究に止まり、人間や時代の精神的側面にはまだ光を当てていないように思います。格差や貧困問題の根底には、他者の不幸を省みず欲望を追求する人間の態度が潜んでいます。SDGsの「誰もとり残さない」という理念には倫理的な進歩が見られますが、さらに進んで例えば、私的所有について「足るを知る」あるいは「他人の不幸の上に自分の幸福を築かない」という、より高度な精神性が必要ではないかと思います。その表れの一つは、例えば近江商人の「三方よし」でしょう。

私はピケティの「参加型社会主義」に魅力を感じます。そのようなイデオロギーの出現を待つだけか、というとそうではないと思います。それはトップダウンの統治ではなくボトムアップの参加型ガバナンスです。その参加の能力はまさに市民の力、コミュニティの力、コモンズの力へと繋がっており、「コミュニティづくり」は市民参加型ガバナンスの土台づくりではないかと思います。(中島正博)

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