
東日本大震災の後、原子力に依存せず、2040年までに100%再生可能エネルギーを目指す、と決めた福島県には多くの電力会社が生まれました。原発依存の反省から、地域で発電して消費する地産地消のコミュニティ電力を目指しています。今回は福島県喜多方市と飯館村に設立された、地元資本や市民ファンドの出資による電力会社を紹介します。事例1は2016年の喜多方市の会津電力と飯館村の飯館電力、事例2はその後の2018年の飯館電力のお話です。
事例1:地域の再生のために今できる再エネ事業を推進(2016年)福島県会津地方は日本有数の豊かな穀倉地帯。山々が育む豊かな湧き水に恵まれた喜多方は酒どころとしても知られている。弥右エ門の酒蔵は1790年に創業し江戸時代から200年以上酒を造り続けてきた。九代目当主、佐藤彌右エ門さんは震災後新たに電力会社を立ち上げた。
2013年8月に誕生した会津電力株式会社は、地元の資本や市民ファンドのお金などで成り立つご当地エネルギー会社。「原発事故に遭って今年でもう5年、新しい福島を作る」。従業員は20人。子供たちの未来のために、という志に共鳴し仲間が集まった。太陽光に加え将来は小水力、風力、バイオマスなど12MWで、およそ4000世帯分の発電を計画している。これまでに運転を始めた太陽光発電所は48か所で目標の三分の一。合計およそ4MWの電力を生み出している。雪国でのソーラー発電所だからひと工夫ある。雪が降っても積もらないよう傾斜角度が30度、高さが2.5メートルで、積雪が多くなってもパネルが雪に埋まらない」。
原発事故後、福島県は原子力に依存せず、2040年までに100%再生可能エネルギーを目指すと決めた。事故を起こした原発は東京のために電気を送り続けていたが、福島の自然エネルギーは地元の会社が作り地元で使う。彌右エ門の夢は、お金が地域で循環するエネルギーの地産地消であり、「未来永劫安心安全なエネルギーを自治体が自分たちで作って使い、余剰をためてさらにインフラを作る」こと。
福島で再生可能エネルギー100%を目指す彌右エ門にとって、気がかりなのは今も全村避難が続く飯館村。飯舘村が自然エネルギーを生み出せれば、復興の道が開けるのではないか。彌右エ門は村の仲間と飯舘電力を設立した。社長を務めるのは飯舘村の農家の小林稔さん。小林さんは避難先の会津で彌右エ門の酒蔵の米作りを手伝っている。小林さんは彌右エ門を信じて、村で太陽光発電にかけてみることにした。飯舘電力の社長小林稔さんが挑む太陽光発電事業の2か所目の工事が始まる。この土地は原野だったのでパネル着工までの手続きは順調に進んだ。飯舘電力はさらに使われていない農地を発電用地に使おうと計画している。農地を農業以外で利用するには特別な許可が必要だ。太陽光発電のための農地の転用を正式に申請したところ、許可が下りなかった。飯舘電力の農地転用問題を突破するアイデアは無いか。注目したのは新しいソーラーシェアリングの方法。パネルなどの下で育てるのは野菜などの農作物。これならパネル設置の許可が下りる見込み。セシウムの半減期は30年。先ずは食料以外の牧草地から始めて、時の経過を見る。「仮に2000人くらいしか村に帰らなくても、20年経ったら分からない。次の世代の人たちが何とかしようと思ってくれれば、また違うことができる。どういう方法でも、村が存続できれば良い」と小林さんは言う。この事例1(2016年)の小林さんの活動のその後の展開は、次の事例2(2018年)で紹介します。(NHK動画リンク:「酒屋と農家が挑むエネルギーの地産地消」)

事例2:発電収入と畜産復活を実現して、農地を守り地域に雇用を生む(2018年)福島県飯舘村は去年3月避難指示が解除され、6年ぶりに暮らすことができるようになった。しかしほとんどの農地は今も荒れたまま。膨大な量の除染廃棄物が山積みになっている。飯舘村に暮らすのは震災前の人口6500人から現在の546人で1割以下。村に戻った一人は畜産農家の小林稔さん。小林さんは自ら電力会社を設立し、太陽光発電に取り組んでいる。除染された農地に太陽光パネルを設置し、電気を売って収入を得るとともに、荒れてゆくばかりの農地を守ろうとしている。
「農業を再開するのはかなり厳しいと思っていて、一番取り組みやすいのが太陽光による売電の収入。仕事も増えてくれば、村の人が戻ってくるきっかけになるかと思った」と小林さん。小林さんの太陽光発電は農業と同時に行える。太陽光パネルの高さと支柱の幅はトラクターが走れるように設計されている。除染した農地には牧草を植え、畜産が盛んだった飯館の復活を目指す。小林さんの家の近くには太陽光パネルが設置され、新しい牛舎が建てられている。もうすぐ牛がここに運ばれ畜産を再開する予定。太陽光でお金を頂いて、牧草をつくり牛に食べさせると一石二鳥や三鳥にもなる。
新たな発電所にする農地を訪ねた。土地は一度除染したが、農業の再開は難しく、荒れたまま。荒れた農地をこのままにすると山に戻ってしまう。小林さんは太陽光発電をしながら、農地を守ろうとしている。小林さんが描く飯舘村の未来は、村内80か所に太陽光パネルを設置し、生み出された電気で1200世帯の電力を自給する。パネルの下で育つ牧草を牛が食べて、地域に畜産が復活する。太陽光パネルのメンテナンスを行う会社もできて地域に雇用も生まれる。(NHK動画リンク:「太陽光発電でめざす畜産の村再生」)
2つの事例から分かること:原発事故によって生活を破壊された住民が、脱原発を志向する福島県住民の強い意思が伝わってきます。会津電力は再生可能な地産地消のコミュニティ電力の生産に主眼を置いています。会津電力のHPに示されたミュニティ電力の理念からそれが分かります。持続可能な電力インフラによる地域づくりとして、「エネルギー革命による地域の自立」を目指しています。
他方、飯館電力は農地を守ることに主眼があるようです。今農地を放置してしまうと、将来は農地として利用できなくなるので、農地を本格的に農業利用できるようになるまで、ソーラー発電と畜産用牧草生産の土地として、農地を利用することが主眼のようです。雇用を生み出して避難住民の帰還を促進し、村と農業・畜産を再生させることが最大の目的のようです。飯館電力はHPに「村民の、村民による、村民のための発電会社」と唱っています。
筆者が福島県を訪れた2014年、鉄道を横切って福島から東京に電力を送る、多くの送電線の下を東北新幹線で往復しました。その時、東京のための原発の犠牲になった、福島県住民の無念を想像したことを私は覚えています。
上記の事例1と2の記述は、NHK地域づくりアーカイブスの動画を再生し、その解説や会話の音声を筆者が文字化した文章を作成して、それをこの記事で読みやすくするために短縮して掲載しました。もとの長い文章はこちらに掲載しています。(中島正博)