登校児童の見守り活動~小さな遊び

小学生の登校見守りボランティアの私の活動について、これまでにたくさんの記事を書きました。見守り活動における子ども達との交流は少しずつ変化・進化しています。最近の様子について報告します。コロナが5類になりマスク姿が減ったので、子どもの顔が良く見えるようになりました。それも手伝って、いまでは私の持ち場を通る子供の顔はほぼすべて覚えました。顔を覚えると子供の個性が良く見えるようになります。歩き方もしぐさも言葉づかいも子どもは個性の塊のようです。人は大人よりも子ども時代の方が個性は良く表に現れるのかもしれません。また子供たちの兄弟・姉妹の関係も見えてきます。転校生にも気づきます。子どもたちの個性が見えてくると、お互いに親しみが湧いて、「おはよう、行ってらっしゃい」の他に、別の会話を交わす交流が生れます。「お兄ちゃんはどうしたの?」と聞くと、「今日は風邪を引いたみたい」などと会話が増えるのです。

最近一年余りにわたって続いている流行は、「今何時ですか?」と私に尋ねる子ども達との会話とじゃんけん遊びです。朝の挨拶のプラスアルファのようなものです。朝会ったら多くの子どもたちが「今何時ですか?」と時刻を聞いてくるようになりました。時計台のように現在時刻を教えてあげることも、私の役割になりました。「今何時何分だよー」と応えると、「ありがとうございます。」と丁寧な返事が返ってきます。声に出して時刻を聞く子や、その発声なしで私の顔を見て、時刻を教えてあげるのを待っている子もいます。挨拶をして時刻を尋ねるだけですが、これも私の前を通り過ぎる短い時間でできる、互いの交流の形であろうと私は思って、「時計台ごっこ」を楽しんでいます。子どもの方でも、大人と交流できる切掛けとして楽しんでいるような印象があります。子どもが尋ねるのは、登校時刻を気にしているからですが、時間的な余裕が十分ある時でも、決まって特定の子ども達が尋ねるし、その言葉や態度にも遊びの要素があるからです。

友達と一緒に登校する子ども達は時計のように通過時刻が正確です。友達と誘い合うために出かける時間が決まっているからでしょう。いつも早い時刻に通る子ども、遅い時刻に通る子どもなど、私の前を通る時刻は大体子どもによって同じです。朝起きが得意な子や不得意な子などさまざまでしょう。中には低血圧のために、朝起きられない子もおり、「社長出勤」と呼ばれて見守られているようです。

時計台ごっこよりも、もっと積極的な遊びはじゃんけんです。出会って目が合うと、私に挑戦してきます。「最初はグー、じゃんけん、ポイ」。あいこが重なると、思わず熱が入ってきます。じゃんけんの勝負をしたいのは男の子のほうが多いようです。手を袖に半分隠したりして、挑戦の仕方にいろいろな工夫をこらします。また男の子はより気合が入っています。子どもたちには大切な一日の始まりなので、子どもに勝たせてやりたいと思う反面、私も負けまいとつい熱が入ってしまいます。勝負がついたときの反応は子どもによって異なり、同じ子どもでも日によってさまざまです。子どもが勝つと「やったー」とか「うおー」とか、さまざまな歓声を上げる男の子もいます。子どもや私自身の振る舞いが面白くおかしく、私の顔が思わずほころび、じゃんけんの後一人でニヤニヤすることも度々あります。

昨年には小学校の体育館で見守りボランティアが全校児童を前に紹介されました。ボランティアは何人も活動しているのですが、所用の都合などにより、最古参の一人と私の二人が出席しました。登校する児童の安全を守る、という目的を再確認させられた集会でした。その後、町のトンド祭りで会った時に、私を名前で呼んでくれる子どもがいました。

一日の活動が始まる朝の道の人どおりには秩序があります。同じ時刻に同じ人が同じ道を歩いて、同じ人に道で出会います。散歩・通学・通勤・家事・子育てなどです。これが毎日繰り返されます。それが日常です。それは「リズム」と言っても良いでしょう。コミュニティには自然にも人間にもリズムがあります。春夏秋冬、草木動物の活動、人びとの日々の生活、人体の機能なども、太陽を起源とする繰り返しのリズムです。それら全体のリズムを壊そうとしているのが、話は飛びますが地球温暖化の脅威です。それは人間の活動の結果ですから、人間のコミュニティにも何かできる対策はないでしょうか。(中島正博)

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