
地震や洪水などの甚大な災害によって、生計の資源である生業の基盤が破壊されます。今回は商業の生業の復興について紹介します。壊滅した商業施設が全国の商店街ネットワークの応援によって復興した、宮城県南三陸町の感動的な物語です。
事例:復興も町おこしも商店主たちの心意気から始まった(2017年)宮城県南三陸町では3,300戸の家屋が流失損壊した。震災直後の4月に入り被災者が近隣の町などに移っていく動きが本格化した。町から流出する人が増えるにつれ、商店主たちは商売の先行きに不安を抱くようになった。老舗のお茶屋を営んでいた自治会の副会長阿部忠彦さんは、若い世代が真っ先に町を出ていくことに、強い不安を感じていた。
「うちも子育ての最中だし高齢の両親もいるので、どうやって生業を作るのか、従来の地元型の商売が成り立つのか、考えました」と阿部さん。自治会で外部との交渉役の及川善祐さんは震災前、志津川の商店街でまつりや市を開き、地元でとれる海産物や加工品などを売りさばいてきた。これを復活させて再起のきっかけを掴みたい。しかし実現にはほど遠い状況だった。
そこに救いの手を差し伸べた人がいた。震災の一週間後から支援物資を志津川に届けてきた「ぼうさい朝市ネットワーク」代表の藤村望洋さん。全国34の商店街が加入し、災害時に支援物資を送り合ってきた、この団体に志津川の商店街も以前から参加していた。及川さんは藤村さんに商店街復興への思いを打ち明けた。藤村さんは「では後押しして全国の商店街と連絡をとりましょう」と応答。「そうしたら待っていました、とばかりに全国の商店街のネットワークの仲間たちが賛同してくれた。物もテントもお釣りも持っていくから、ダンボール紙で看板だけ書いておけ」という話だったと及川さんは回想する。
すぐに「福興市」と命名し4月29日から2日間開催することにした。早速、商店主やボランティアを中心に「福興委員会」が結成された。委員長は魚屋の山内正文さん。最大の課題は財産を失った町民が買い物に来てくれるかどうか。山内さんたちは福興市だけで使える金券を発行し、無料で被災者に配ることにした。志津川名物のタコにちなんで「タコ券」と名付けた。当時南三陸町には50か所の避難所があった。山内さんたちは1か所ずつ訪ねて一万人にタコ券を配り、福興市に誘った。300円でいろいろ買える仕組みになっている。
震災から50日目の4月29日に福興市を迎えた。会場は志津川中学校の校庭のテント。全国の商店街から持ち寄られた名産品などを売る店が30軒並んだ。岡山県、福井県、鹿児島県などからも名産品。大勢の人がタコ券を使って買い物。店頭に志津川の商店の看板を掲げ、地元の商店はまだ生き続けていると発信。「これからも商売をすると伝えれば、お客さんは安心することが一番。『私が町に残っても自分たちの生活を支えてくれる商人たちがいる』と町民が分かっただけでも、町は再生できると思う」と山内さん。
福興市は町の外に移った人と、町に残った人たちとの再会の場にもなった。「よかったなー、あんたも生きていた」と生存を確認し合った。残念ながら亡くなった人の消息なども聞いた。「あちこちで抱き合って、泣いている風景をいっぱい見ました」。二日間で1万5千人のお客が第1回福興市に訪れた。

翌年2012年2月25日、南三陸町に仮設の「南三陸さんさん商店街」がオープンした。そして2017年3月に念願の「さんさん商店街」が最終的に復活した。28の店が軒を連ねる一角では、及川さんの蒲鉾屋や三浦さんや山内さんの魚屋が客を迎えた。これまで世話になったお客さんのために何ができるのか、避難所の運営も福興市もすべては商店主たちの心意気から始まった。「町おこしとか復興の話をする時、福興市なしで話はできない。福興市がすべての原点だと思っている。町作りに役立っていれば、それが商人の使命だと思う」と山内さんは言う。(NHK動画リンク:「全国の商店街の応援で復活した市」)
事例から分かること:震災直後の4月に福興市が実現したのは、「全国ぼうさい朝市ネットワーク」の応援があったからこそです。その応援を引き出したのは南三陸町の商店主たちの復活への心意気でした。商店主たちは、震災直後に町を出てゆく住民を目の当たりにして、自分たちの生業が成り立たなくなる危機感を覚えました。住民の生活を支える商店を続けるから、町に踏みとどまってくれ、という思いだったでしょう。住民の生活を支える商人の使命感もありました。その思いが復興市やまちおこしに繋がりました。
災害避難者が故郷に戻れない理由の一つに、生活に必要な商店や病院が無いことが挙げられます。4月20日のサイト記事「帰還した故郷におけるコミュニティづくり」で紹介した、福島県大熊町の事例がそうでした。逆に、南相馬市小高区の事例では「小高交流センター」に設けられたマルシェが生活を支えました。被災地でなくても、近年、全国の過疎地でスーパーが撤退すると、深刻な買い物難民が問題になります。
事例で紹介した「ぼうさい朝市ネットワーク」は災害などの有事の際にお互いに支援し合うことが目的です。各地の災害時の支援を通して、全国の商店街の人びととのこの繋がりは東日本大震災の前からありました。「さんさん商店街」が復活した後、2022年5月には南三陸町の仮設の魚市場では第100回復興市が開催され、「ぼうさい朝市ネットワーク」の人たちが南三陸町に集まりました。2023年10月29日には岡山県笠岡市で、南海トラフ地震に備えるためのイベント「笠岡ぼうさい朝市」が開催されました。

上記の事例の記述は、NHK地域づくりアーカイブスの動画を再生し、その解説や会話の音声を筆者が文字化した文章を作成して、それをこの記事で読みやすくするために短縮して掲載しました。もとの長い文章はこちらに掲載しています。(中島正博)