帰還した故郷におけるコミュニティづくり

今回の記事は東日本大震災後に福島県の南相馬市小高区と双葉郡大熊町へ帰還した人たちによるコミュニティづくりの紹介です。二つの地域の事例は以下の通りです。

事例1:住民が激減した町で、住民と町を訪れる人の交流の場を創る(2019年放送)。福島県南相馬市小高区は警戒区域に指定され、人口は事故前の13,000人から3,600人に減少した。いち早く帰還した小林さんは最初一人で駅前の花壇に花を植え始めた。今では市役所から苗の提供を受けて、地域全体の取り組みになった。「みんなでやるこれがまちづくりではないかと思う」と小林さん。小林さんは駅前で旅館を営む。帰還した小林さんは旅館を再開して、帰還の準備をする住民やボランティアと交流を深めた。そのころ気づいたのは、町には気軽に立ち寄れる店が一軒もないこと。旅館の隣の倉庫を改修して、お茶が飲めてお土産も買える店を開いた。店ができたことで地域にみんなが立ち寄れる場所が生まれた。「ここで何かやりたいという人と繋がることで、コミュニティが広がっていく」と小林さんは言う。

小林さんの近所には住民の交流拠点も作られた。「おだかぷらっとほーむ」は避難指示解除の前から活動を続けてきた。おだかぷらっとほーむは住民や小高を訪れた人が自由に利用できるサロンを作った。この拠点を作ったのは廣幡さん。住む人がいなくなった町で、訪れた住民やボランティアが出会い、交流できる場が欲しい、と廣幡さんが空き店舗を利用して作った。2019年に南相馬市は住民が気軽に集まることができる交流拠点を小高区にオープンした。開設に当たって南相馬市はどんな場を作って欲しいか、住民の希望を聞くワークショップを開いた。子育てサロン、トレーニングルーム、体操ができる部屋、そしてマルシェも設けられている。マルシェの主役は地元産の新鮮な野菜。近くにスーパーが無いので、ここの野菜が地域の食卓を支える。(NHK動画リンクみんなで創る新しい町 ひとりから始めるまちづくり」)

大熊町役場新庁舎の位置    出典:大川原地区復興拠点

事例2:長年暮らした土地で生活を再建したい(2019年放送)福島県大熊町は福島第一原発がある自治体として、初めて一部の避難指示が解除された。しかし町の大部分は今も帰還困難区域で立ち入りが制限。4月に避難指示解除がでたのは大河原地区と中屋敷地区など町の南西部で、ここに新しく大熊町町役場と災害公営住宅が作られた。会津若松などに避難していた役場機能の大部分をここに移した。災害公営住宅は50戸。事故前の町の人口は11,505人だが現在は80人ほどで、今も町民のほとんどは町外で避難生活です。

山本千代子さんは会津若松で避難生活をして災害公営住宅に移り住んだ。去年夫の進彦さんを病気で亡くした。今山本さんが気になっているのは、各地から入居してきた人たちの交流が少ないこと。住民の多くが一人暮らしの高齢者。安心して暮らすためには、住民の繋がりづくりが必要だと感じている。災害公営住宅のもう一つの課題は生活の不便さ。大熊町で食料品が買える店は仮設のコンビニが一店のみ。予定されているスーパーなどができるのは再来年。町内にある総合病院の福島県立大野病院は立ち入り制限区域にあるので閉鎖中。町に医療機関はなく住民は隣町に行くしかない。住民はスーパーや医療機関が近くにできることを望んでいる。


大河原地区にはもともと住んでいた自宅に戻った人もいる。その一人の末永正明さんは長引く避難生活の中、南相馬市に家を新築し妻や息子と暮らしていた。今回の避難指示解除を受けて、ここに一人で戻ることにした。「諦めていたが帰ってこられるようになった。育った所だから帰った」。健康のために散歩をするが、人と行き交うことはほとんどない。末永さんの住む地域は120戸の内、帰還したのは4戸。農地は除染されているが、課題は耕作する人がいないこと。町の調査では農業の意欲のあるのは1割に過ぎない。農業を再開したいと願う農家の新妻茂さん。4年前に通行の許可を得てここで野菜を作っている。(NHK動画リンクみんなで創る新しい町 始まった帰還」)

二つの事例から分かること:事例1の南相馬市小高区と事例2の双葉郡大熊町は、福島第一原発からの距離が大きく異なります。従って住民の帰還状況は異なり、コミュティづくりも大きく異なっているようです。原発から比較的遠い小高区ではコミュニティづくりが進んでいるようです。「共的な空間」として、住民は駅前の花壇、気軽に立ち寄れる店などをつくり、空き店舗を利用した「おだかぷらっとほーむ」のサロンが生まれ、さらに公的な空間として「小高交流センター」(冒頭の画像)ができました。「繋ぐ人」は小林さん、廣幡さんや南相馬市の行政などです。南相馬市のHPによると、小高交流センターの役割は「多世代による地域内外の交流拡大や地域活性化、にぎわい創出、地域コミュニティの再構築など、復興・再生を目的に市が整備をした施設」です。

事例2の原発に近い大熊町では帰還者は少なく、2019年の時点で人口はわずか80人であり、食料品が買えるのは仮設のコンビニのみでした。帰還は始まったばかりで、事例にはさらに多くの町民が帰還できるための課題が示されています。2025年3月末現在の居住状況・避難状況によると町内人口は965人、その内帰還者は308人です。大熊町のHP(2025年4月)には大熊町民の23のコミュニティのリストと復興支援員の募集案内が掲載されています。大熊町内にコミュニティの活動拠点があるのは23コミュニティの内2つです。その他はいわき市など県内各地と茨城県・栃木県・仙台市などの避難先に活動拠点があります。町外の避難先にもコミュニティ活動があるのは良いと思います。効果的なコミュニティづくりのためには、大熊町にある程度の人口密度が必要なのかもしれません。

被災地では、震災をきっかけにして、日本全体の過疎や高齢化の問題が先鋭的に現れています。流出した人口が戻らない現在の被災地の状況は、これからの日本の将来を示唆しているようです。被災地の経験に私たちは学ぶことがあるはずです。

被災地がかかえる諸々の課題 出典:地域づくりナビ

上記の事例1と2の記述は、NHK地域づくりアーカイブスの動画を再生し、その解説や会話の音声を筆者が文字化した文章を作成して、それをこの記事で読みやすくするために短縮して掲載しました。もとの長い文章はこちらに掲載されています。

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