社会を分断するコロナ禍から時代を変える繋がりへ

新型コロナウィルス感染対策の自粛緩和に伴って、私の町の諸行事が再開されました。例えば町内会の百歳体操や太極拳や社協の会合です。私は太極拳のグループに参加しています。三密を避ける対策をしながらいろいろな集会も再開されました。住民の交流が再開されて見えてきたのは、運動能力が減退した高齢の人が多いこと、さらにはうつ状態に近くなった人もいること、さらに認知症の疑いのある人もいることなどでした。そんな話を伝え聞いていると、案の定、厚生労働省が「コロナうつ」の初めてのメンタルヘルス全国調査をする実施方針を固めた、との新聞のニュースが7月27日目にとまりました。

「コロナうつ」とは、新型コロナウィルスの流行に伴う外出自粛や休業要請によって、人びとにうつ症状などの精神面での不調が増えたことから、生まれた言葉です。コロナ禍が人の心にも精神的苦痛などの悪影響を及ぼしています。自粛要請のさなかに、「コロナ離婚」という現象が現れたり、休校措置で家庭内の兄弟げんかが増えたりしました。また外出自粛や飛沫防止などのために、人びとのコミュニケーションが減少して、諸々の不都合が生じます。コロナ禍は人と人との分断を促進し、その結果「人びとの繋がり」の希薄化がさらに増すのではないでしょうか。感染よりも怖い、生活様式に関わる文化的な危機です。

しかし他人に対して無関心だったら、物理的に三密状態が生まれて、コロナウィルスをもらったりあげたりするかも知れません。だから用心して三密を避けたりマスクをしたりして、他者に配慮することが必要になりました。感染を避けるためには、現代社会を覆う「他者に対する無関心な心」を変えなければなりません。他者との「心の距離」を縮めて、他人に対する配慮や想像力を働かせることが、自分のためにも必要になったのです。他人に対する配慮は社会のための単なる「倫理」ではなく、自分が感染しないための「必要」にもなりましまた。つまり他人への配慮や関心は「自分事」になったのです。

そのように考えれば、コロナ禍のピンチは、現在世界を覆って「人びとを分断」する時代の風潮を変えるチャンスの一つになると思います。但し「三密」を避ける必要性が叫ばれている現在、物理的な距離を縮めて、上の画像のように人と人との距離を密接にすることはできません。物理的な距離ではなく、もっと大切な「心の距離」を縮めれば、コミュニケーションが減少する今の時代の風潮を変えられるかも知れません。他人への配慮や関心があれば三密を避けられるし、他者を想う「心の距離」を縮める意思さえあれば、当面は電話やインターネットや手紙などを使って、物理的な距離に関係なく、コロナ禍がない時よりも多くの友人や知人とのコミュニケーションの機会が増えます。

テレワークからさまざまなビジネスや文化活動に至るまで、今こそ他者との関係を見直すことが、事業の持続性に繋がるのかも知れません。見直しに当たっては、お金で繋がることが中心なのではなく、人と人とが心で繋がること、人の心に貢献をすることを中心に考えたら如何でしょうか。それには他人に対する配慮や想像力が必要です。そのように人と人との心の繋がりを大切にする結果として、経済活動の持続性が保証されるでしょう。つまり商業主義や心に配慮しない形式主義から、目の前の一人ひとりの気持ちを大切にする発想への転換です。一人ひとりの人間の気持ちに応えるためには、その場でその人びとを前にして知恵を働かせる以外にないでしょう。
綺麗ごとのように聞こえるかもしれませんが、社会の基本的で現実的な心構えだと思います。コロナ禍が人と人との分断を促進する、と憂えていましたが、コロナ禍を逆手に取れば、ピンチをチャンスに変えられるのではないかと、このようなことを考えました。(中島正博)。

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