西日本豪雨の被災と復旧の語り部に代えて ~ 第1回 被災直後の1週間

昨年は自然災害が多発したので「災」が2018年の漢字になりました。西日本の豪雨や北海道の地震などの自然災害や他の社会的な人災も多発したためでした。「喉もと過ぎれば熱さを忘れる」人間の弱点を克服するために、歴史上石碑が作られたり、語り部の方々が活動されたりしました。石碑や語り部の存在は大切ですが、その存在にアクセスして接する機会が限られます。

そこで私が思いついたアイデアはこの「コミュニティづくり研究所」のサイトに「語り部」の機能を付加することです。災害は地域コミュニティを度々破壊します。逆に、破壊された都市や集落を復興するのも地域コミュニティの力が必須です。災害とコミュニティの盛衰の関係を考えると、私が住む広島県に起きた西日本豪雨の語り部の努力をすることは、この研究所に相応しい役割ではないかと思いました。

私が考えた「語り部」の方法は、西日本豪雨が発生して以来、広島県周辺に起きた主要な出来事を、「新聞の見出し」を使って提供することです。石碑が立つ「場」の持つ力にはかないませんが、ホームページなので多くの人にアクセスしてもらえます。また新聞記事の本文は長いので読むのが大変ですが、「見出しの言葉」だけでしたら、一目で出来事が把握できます。災害後にはいくつもの関連記事が新聞に毎日掲載されます。毎日の記事の数は時の経過と共に減少しますが、甚大な災害の場合は一年以上も記事が掲載され続けます。また被災地のエリアをカバーする地方新聞の場合、毎日の災害関連記事の数は多く、掲載期間も長くなります。

西日本豪雨の被害や復興に関する記事の見出しを、広島市に本社がある中国新聞の紙面から探し、被災直後から半年余(約200日)の期間に限って「見出しデータ」を作成しました。西日本豪雨のすべての関連記事の中から、見出しと本文の両方に「豪雨」の言葉を含む記事を選び、その中から豪雨と関連性が比較的高い記事を選ぶようにしました。その結果、記事の見出しの数は約1000にもなってしまいました。いったん甚大な豪雨災害が起きると、個人や社会の無数の営みが破壊的な影響を被ります。豪雨災害は今後もその程度を増しながら起きます。西日本豪雨によってどのような被害が起きたのか知ることにより、個人的な備えと同時に社会的な備えをするために役立てることができます。

半年余の記事の見出しデータを一度にサイトに掲載すると、読者が目を通せる量を大きく超えてしまいます。従って、①災害後1週間目まで、②2週間、③3週間、④1か月、⑤2か月、⑥3か月、➆4か月、⑧5か月、⑨半年、というように分けて提供したいと思います。豪雨被害そのものに関する記事から、被害の復旧を支援する活動の記事、被災地域の人びとの生活再建、被災した町の復興に関する記事に変化する様子が半年のデータで分かるでしょう。

今回最初に掲載するのは、①災害後1週間目までのデータです。最初の1週間は被害の全容は全く分かっていない期間です。豪雨災害は7月6日金曜日の夜に起きましたので、翌日7日土曜日の新聞朝刊は具体的な被害の記事はまだ多くありません。8日日曜日になって被害が部分的に報道されました。9日月曜日は新聞休刊日です。10日火曜日の朝刊で47以上の記事が掲載されました。断水は20万戸に亘り、交通は寸断され通勤は混乱し、学校は休校、物流も寸断され、スーパーは品薄になり、浸水による被災住宅は増え、孤立する集落も現れました。JRは9線が運休しましたが、山陽新幹線が運行したのは不幸中の幸いでした。陸上は大混乱・大渋滞しましたが、フェリーによる海上交通が役立ちました。詳しくは「見出しデータ」の表をご覧ください。

(中島正博)

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