西日本豪雨の被災と復旧の語り部に代えて~第2回 被災直後の2週間目まで

今回は第2週目に注目します。中国新聞の記事見出しデータの表を本文末に掲載します。被災直後の1週間は大まかな被害実態が報じられましたが、被災の全容はまだ判明していない状況でした。第2週目は、捜索によって死者数が日々増加してゆき、広島県内26の孤立地区が判明し(14日記事、以下同様)、平成で広島県内最悪の家屋被災(20日)、広島県内過去最大規模の土木・農林水産の被災額(20日)などと、より正確な情報がさらに広く各地域から報じられました。また公共交通の応急対策が取られるようになったのも第2週目からです。

被災直後は安佐北区日田の中高生ボランティアによる土砂撤去(10日)、熊野町の150人のボランティアによる土砂撤去(11日)から始まり、第2週目には広島市矢野地区の高校生有志による土砂撤去(14日)、そして全国からボランティアが中国地方に集結して土砂撤去や清掃活動(15日)、14日から16日の3連休中には被害3県に3万2000人のボランティアが参加したこと(17日)、海田町(18日)や安佐北区(21日)では、被災地域以外からのボランティア受け入れ要請、などが報じられました。復旧への大きな力として若者を中心とするボランティアが第2週目に活動をさらに拡大しました。そして行き場のない被災ごみも増えました(21日)。

最重要ライフラインの水道は6日被災直後の断水以降、13日には広島県内20万戸に及んでいましたが、第2週目には呉(15日)で給水が本格再開し、三原本郷取水場の復旧(17日)よって、三原市(19日)と尾道市(19日)で給水の目途が立ちました。しかし坂町や安佐北区の断水は続きました。

第2週目には山陽道の復旧による全通(15日)が物流の回復を後押ししました。鉄道の不通は長期化が判明し、通勤・通学などはバス輸送によって代替されました。呉~広島は緊急輸送(17日)、JR芸備線沿いで19日から、JR呉線沿線の呉~広島の各駅停車と広~広島の直行便が21日から、JR芸備線と福塩線沿線も23日から、JR代行のバス輸送が始まりました。しかしJR山陽線沿線の瀬野駅周辺はバス車両が不足し、公共交通の空白が生じていました(21日)。

広島県は呉、三原、坂に仮設住宅の建設を決定し(20日)、広島県内7市4町3000戸の「みなし仮設」の受け付けをしました(21日)。その他の多岐にわたる被害状況と復旧状況は記事見出しデータで確認してください。多くのデータは被害を伝える赤字で占められていますが、復旧への動向も次第に増加しています。


(中島正博)

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