西日本豪雨の被災と復旧の語り部に代えて~第3回 7月末まで

第3回の記事は被災後3週間目(22日)から7月末までの主な出来事に注目します。中国新聞の記事見出しデータの表を本文末に掲載し、それに基づいて被災から復旧に向けた動向をかいつまんで解説します。この期間に西日本豪雨災害は閣議決定により激甚災害に指定されました(25日の記事、以下同様)。

広島県の東西を結ぶ大動脈の国道2号線が、被災から2週間後に全通した(22日)ことは、被災からの復旧を広く後押しする回復でした。また広島県南と県北において、鉄道に代わるバスが運行され、通勤・通学などを支援しました(24、25日)。ボランティアの送迎にもバスや船が利用されました(24、26日)。

広島県内の住宅被害は1万2000棟、さらに拡大する見通しも報道されました(24日)。被災住宅の土砂撤去や清掃は、被災12府県でボランティア延べ8万人(23日)、出勤扱いのボランティア(25日)、被災地へ行くボランティアのアクセス支援(24、26日)など、連日の酷暑の中でボランティア活動や消防団員によって支えられました。同様に警察による行方不明者の捜索も酷暑の中でした(22、24、25、27日)。災害ごみの仮置き場が満杯になり、三原市では搬出が始まりました(22日)。

これらの経験から公共交通の停止に際して、通勤・通学・生活やボランティア活動などの移動支援のために、バス輸送が有効であることがよく分かります。今後の甚大災害に備えて、交通業界の協力も得ながら、バスの調達システムを地域ごとに検討する必要があるでしょう。

西日本豪雨に追い打ちをかけるように台風が来襲し、二次災害の恐れで被災地の復旧作業が緊張につつまれます(27、28、29、30日)。豪雨災害の避難指示は徐々に解除(25日)されますが、避難勧告や指示の対象人口は被災後3週間目になっても、広島、岡山両県で7万2千人(27日)に及び、台風12号による一時避難(30日)も行われました。また広島市内1000人を対象に調査した結果、豪雨時の避難指示で避難した住民は31人のみ、という実態が判明して、効果的な避難情報のあり方が問われました(26日)。

被災者に対する住宅支援が行われ(22、25、28日)、罹災証明を迅速に発行する配慮もされました(29日)。水道の断水はこの時期、広島、岡山両県で5016戸(26、28日)でしたが、復旧する被災地区(31日)もありました。断水が長期化する地区では井戸が利用され (23日)、災害時の井戸利用の有効性が改めて認識されました。生活用水は最重要ライフラインですから、災害時のための平時の井戸管理も、水道法と関連する大切な課題です。被災地で休業したスーパーに代わり、軽トラックによる巡回営業が活躍しました(30日)。

本文の後に掲載した表「記事見出しデータ」から分かるように、復旧を側面支援する多くの活動が行われました。医師(23日)、女性警察官(24日)、燃料会社(26日)、大学(26日)、消防団の女性消防隊(28日)、写真師会(30日)、警備会社(31日)など、近年の災害時の被災者支援の学びが生かされているようです。そのような学習効果は今後の防災・減災の文化として役立つでしょう。

災害を拡大した原因と考えられる、ダムの放流に関する規則、警報、避難指示の問題(23、25、30日)や巨石(コアストーン)(22日)についても報道されました。ダムの放流に関する課題は全国的な重要性があるでしょう。

(中島正博)

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