地域コミュニティ創造のために 第3回 新たな発想で新しい時代の地域コミュニティの創造を

これからの新しい時代は新たな発想による地域コミュニティの創造が必要でしょう。人間関係を希薄にして地域コミュニティを衰退させた要因を第1回で述べました。その中でも個人主義の普及が大きな要因でした。生活で個人の自由をより重視すれば、パーソナル化のライフスタイルを求めるのは自然です。核家族、マイ家電、マイカー、スマホや孤食によって、自分の自由は広がるでしょう。しかし他者との係りを失うものもあります。自家用車で外出すれば、道を歩くのと違って、知人と路上での出会いがなくなります。知りたいことをスマホで検索すれば、知人に尋ねることから広がる豊かなコミュニケーションがなくなります。失ったものをスマホのSNSで多少取り戻したくもなるでしょう。驚いたことに、ある民間調査で最近分かったことは、20代の外出が70代のそれを下回るという結果でした。それはスマホの普及で、買い物など多くのことが自宅で完結するからだそうです。

本来の個人主義思想ではこのようなパーソナル化の現象は想像されていなかったでしょう。個人主義は「個々の人格を至上のものとして個人の良心と自由による思想・行為を重視し、そこに義務と責任の発現を考える立場(大辞林)」と説明されています。他にも、個人主義は好ましい意味も、好ましくない意味も含む思想として、諸々に論じられていますが、その詳しい議論はここではしません。

私は地域コミュニティの「共益」を優先させて、個人主義の「私益」を抑制すべきだ、と一概に主張することはしません。私たちの視野を広げれば、一見自己犠牲的に見えても、他者を尊重する行動によって、結果的に、自己の人格や利益が尊重されることに気づきます。利己主義ではなく利他主義の文化が普及すれば、理想主義的な考えかもしれませんが、自己も尊重される社会になるはずです。他者の足元を照らすと、自分の足元も明るくなるように、他人事が自分事になります。個人主義が人間関係を希薄化させた側面を克服するには、利他主義に注目する必要があるでしょう。個人主義を主張するからには、他人も同様に尊重すべきです。今までは自己と他者の「不可分」の関係性に、あまり気づかなかったのでしょう。このような発想の拡大が必要だと思います。その結果、地域コミュニティの互助が促進されるでしょう。

現代文明の趨勢として、近代化、都市化、市場経済、個人主義などや、個人主義と市場経済が結びついた私的な利便性志向を第1回の記事で指摘しました。このようにして社会から共同性(人と人の繋がり)が減少してきました。地域コミュニティが衰退した背景には、このような現代の個人主義や市場経済の普及があり、その上に社会の仕組みが出来上がっています。しかし、地域コミュニティが必要である、という原則的な自覚だけでは、コミュニティは生まれないので、防災、防犯、福祉、環境など日常生活の必要を実現したり、楽しいイベントを設けたりすれば、地域コミュニティが生まれるはずだと、第2回の記事で述べました。

地域コミュニティと言っても、昔のコミュニティの在り方を、そのまま復活することは無理でしょう。社会は近代化以降に、今も激変しています。それを否定的に捉えるのではなく、発想を変えて、それを利用する方法もあるのではないでしょうか。シェアリングエコノミーとして、モノ、空間、スキル、移動、お金などの資源を、市場経済の仕組みで、共的な利益追求に活用すれば、貸借を通じて人間関係が生まれます。シェアハウスも共的な利便性の向上により新しいコミュニティが創造できます。都市化しても、道を歩きながら他人の庭を楽しみ、その庭のオーナーと会話が交わされ、人間関係が生まれるでしょう。それは他人の私的空間(庭)と、私の感覚を分断しない自然な発想でしょう。高齢化社会に伴い、児童公園の遊具を高齢者用の健康器具に変えている町もあります。それを目当てに高齢者が外出し、会話や交流する機会が増えれば、地域コミュニティを促進できます。

これらの外にも、コミュニティカフェや子ども食堂など、社会の変化に伴ってすでに多くの新たな動向が地域に広がっています。新たな発想で知恵を絞って、住民の視点で地域コミュニティを「開発」すれば、地域コミュニティを「創造」する可能性は大きく開かれていると思います。新しい時代には新しい方法でコミュニティを開発・創造する。その地域コミュニティの創造は、容易ではないと思いますが、ひとえに私たちの知恵にかかっていると思います。皆さんはどのようにお考えでしょうか。フェイスブックに研究所名のグループがありますのでコメントを伺えれば幸いです。中島正博)

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