私が住んでいる町の公民館人権教育講座に参加しました。認知症と診断されて10年位生活している方が「認知症について~認知症と告げられてからの生活」と題して話をして下さいました。演題に対する関心は高く聴衆の人数は50人以上だったと思います。認知症についてあまり知識のない私が記事を書くことに躊躇もありますが、コミュニティの役割がさらに広がったので報告します。
この講座に参加する事前の勉強として認知症について調べた結果、分かったことは少なくとも「認知症の種類は1つだけではない」ということでした。アルツハイマー型を筆頭に4つの種類の説明がありました。さて講座に参加してみるとその認知症の方は、「日本認知症ワーキンググループ」の竹内裕さんでした。日本全国で認知症の話をして回っておられる方だそうです。先の4つの種類の認知症の一つ「前頭側頭型認知症」と診断されたのが59歳の時です。竹内さんの症状は「時系列の記憶が難しい」ということです。診断された後1年間くらいは「人生が終わったような気持ちになり」、引きこもりの生活をしていたそうです。しかし、還暦同窓会へ来るよう学校時代の友人の「強い励まし」(①生徒コミュニティの効用)により参加した結果、「居直るような気持ち」で立ち直られて、今では認知症の人びとをサポートする活動をされています。
竹内さんの話は分かりやすく明瞭で、講座の参加者に「本当に認知症ですか?」と質問させたほどです。本人はもともと営業職で、私とは正反対のお話し上手なのです。しかし二つ以上のことは順序を忘れて分からなくなるそうです。何でも忘れられるそうです。それでも竹内さんが生活できているのは、周囲の多くの人のサポートがあるからです(②周囲のコミュニティの効用)。「家に掛けたカギを抜く事を忘れる。何でも無くす」。しかしそれを注意してくれる周囲のサポートがある。手帳に書いておかなければ、何をしていたか忘れるので書く。その手帳を見て確認するように言ってくれる周囲のサポートがあるという具合です。つまり竹内さんが「楽しく生活できる」のは、いろんなコミュニティのおかげです。
竹内さんが生活するには周りのサポートが必要ですが、それには病気のことを公表しなければなりません。周囲の人に知ってもらって、サポートが得られるからです。その病気を公表する時に奥さんと意見が対立したそうです。生きるために周囲の人びとのサポートを得られるよう公表するか、あるいは世間体を気にして公表を躊躇するかだったのでしょう。結果的には生きるために公表して、竹内さんは今シェアハウスに住んでおられます。
認知症になると、人は大なり小なり何かができなくなるので、周囲の人に助けてもらわなければなりません。徘徊の場合も近隣コミュニティの人たちの見守りが必要です。考えてみればそれは認知症に限りません。歳を取ればいろいろとできなくなる可能性は高くなりますし、若い人だって年配の人生経験者のノウハウ(知恵)を必要とする時があります。しかもそれは無料です。さまざまなノウハウを市場のサービスとして購入すれば、費用は積み重なり「働けど、働けど‥」と生活は楽にならないように思います。しかし、「できること、できないこと」をコミュニティで助け合い補い合えば、私たちはもっと少ない費用で楽しく生きられると思います。ちなみに、竹内さんのモットーは、「今日は楽しく生きる」、「明日はより楽しく生きる」、「明後日以降は考えない」だそうです。
将来、私たちは近隣、町内、地域、国、地球レベルの、言わば「シェアハウス」が必要なのかもしれませんね。(中島正博)