私の町の高齢者見守りを通じた「コミュニティづくり」


第1回 私の住む町

昨年、町内会長を引き受けて初めて知ったことですが、日本の伝統的な地域社会の繋がりやあり方がとてもよく見えました。地域社会の繋がりは自治体として重層的な町内会連合で連携をとっています。市役所には地域連携促進課があり町内会・自治会を支援しています。私の住んでいる町内会は近隣の5町内会と連合し安全・安心・清潔で楽しい街づくりに努めています。更に16町内会から構成される広域的な地区連合があります。地区連合は町田市全体をカバーするように構成されており、それらの地区連合の総体として町田市町内会・自治会連合があります。これらの重層的な町田市町内会は、「安心・安全・美化・健康で楽しい街づくり」を共通の目的として活動しています。町内活動の経験から知ったことですが、「コミュニティづくり」の求心力は私たちの町では町内会であることを実感しました。各町内会共通の目標を共有しながらも、やはり各町内会には固有の文化、伝統、発展の歴史がありますから、それぞれ町内会の活動には独自性があります。

そこで私たちが取り組んでいる「コミュニティづくり」の特徴を理解していただくために第1回の報告では、まずは、東京都町田市小山町の沼団地町内の特徴についてご紹介させて頂きます。

広島市は人口120万人の中枢都市ですが、町田市は人口43万人の東京都の中でも比較的小規模の町です。また東京都と神奈川県との県境に沿って縦長の「なめくじ形」をした地域です。町田市は昔から社会福祉を重視する市として神奈川県の相模原市(人口80万人)、東京都の八王子市(80万人)、多摩市(50万人)といった広域地域の方々の間では有名です。このため高齢になると相模原市等からの移住が進み人口が増加してきたと言われています。現在は町田市への純流入(流入―流出)人口は全国市町村の中で第1位となっています。町田市の人口は43万人で横ばいの推移ですが、町田市の中でも人口の減少地域と増加地域がはっきり分かれています。人口増加は私が住んでいる16町内地区の小山町に集中しています。その理由は東京都が実施した新都市開発と深い関係があります。

小山町は町田市の北部地域に位置し八王子市と多摩市に接しています。町田・八王子・多摩地域に横たわる多摩丘陵の頂きには、朝鮮戦争時に米軍戦車の試運転用に作られた「戦車道路」と呼ばれた緑道がありました。現在は東京都がこの緑道を遊歩道として整備しました。この遊歩道は散歩やジョッギングのコースとして、町田市小山町16町内会の健康志向の人々に利用され「コミュニティづくり」に一役を果たしています。実際、異なる町内会の方々が「歩こう会」を作り、人々の交流が行われています。

東京都の都市開発整備計画で10年前から、この多摩丘陵の遊歩道の下に道路が新たに整備され、更に居住地区と商業地区が開発されましたので、この丘陵の中腹にはコストコやカインズなどの大型量販店が進出し、さらに小規模の飲食店などが軒を連ね、忽然として新しい賑わいが出現しました。

ところで、小山町は鎌倉時代から関東武士が鎌倉へはせ参じるための、鎌倉街道沿いの宿場や農業地帯でした。この鎌倉街道は別名「絹の道」と呼ばれ八王子から鎌倉へのシルク・ロードでもありました。現在の小山町の居住者の多くは、江戸時代から300年続いた農家の旧家(「地の人」と呼ばれています)が根を張り、同じ名字の集団が同じ地域に居を構えています。そして別の名字の同名集団、例えば岡本家の集団や杉山家の集団などが隣接して生活空間を形成しています。

そのような生活空間の中に地域外から新しく人々が移住して新旧混成の町の様相を呈しています。恐らくこのような新旧混成の町は日本の地方都市にはどこにでも見られる現象でしょう。特に小山町には近年、若い世代の移住が増加していることから、伝統文化の衰退も進んでいます。そのような小山町の中にあって、私の住む沼団地は不動産会社が小高い雑木林の丘を切り開いて土地を販売してできた一戸建の地区です。そのため沼団地の居住者は99%が域外からの移住者で構成されています。近隣の町内会の人から沼団地は「イミグレーションの町」と呼ばれています。私たちの沼団地は新旧混成の小山町の中で、どのようなコミュニティが住民にとって幸せなのでしょうか。私たちの課題です。(坂井秀吉)

 

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