過疎高齢化する離島コミュニティによる地域活性化~瀬戸内・男木島の事例

離島地域は本土の地方より以前から高齢化と過疎化に悩んできました。それ故に高齢化・過疎化対策の先進地域が離島にあります。有名な事例は島根県沖ノ島諸島の海士町でしょう。海士町の人口は2,331人(2012年)ですが、UターンとIターンの人口が島の全人口の20%を占めています。海士町での生活体験や起業などの活動が『僕たちは島で、未来を見ることにした』(阿部・信岡 2012)に綴られています。瀬戸内にも再生の兆しを見せる島が幾つか現れています。休校になった島の学校が、UIターン者のために再開されたのもその兆しの一つです。

この記事では香川県高松市男木島の事例を紹介します。瀬戸内の島々を舞台に「瀬戸内国際芸術祭」が2010年から3年毎に開催されました。この芸術祭が地域社会に及ぼした効果をみるために、私はこれらの島々を2011年から2014年にかけて訪問しました。その中でも芸術祭が島の住民に最も歓迎され、同時に観光客の人気を博した男木島へは7回行きました。島民の念願であったUIターン者が次第に現れて、休校になっていた小中学校が2014年に再開されました。離島は高齢化・過疎化の「先進地」ですから、その再生への取り組みは本土の市町村でも今後の参考になるかも知れません。

男木島は1.37㎢で統計上の人口は160人(2018年)ですが、本土の高松市周辺に居住している人も多く、実際には100人程度とも言われています。男木小中学校の記録によれば1956年に小学生178名、中学生79名でしたが、高度経済成長期に激減して、下表のように1975年の人口は680人でした。この傾向が続けば将来町が消滅するのではと危惧します。

高松市男木町の人口推移

1975 1980 1985 1990 1995 2000 2005 2010 2015 2018
680 551 447 407 349 299 236 202 184 160

男木の幾つかの特徴を紹介します。私の聞き取りによると、昔から男木の島民性は開放的なことで知られており、それを示す事実は多くあります。「島」から連想しがちな閉鎖性とは逆に、島へ来る人を歓迎する気質が強く、具体的には来島者への親切として表れます。この島の住民は全体として「大きな家族」のような存在です。島が小さく利用できる資源が限られているので、島民が互いに助け合うのは生活の知恵です。男木島住民は共同体意識が強いことでも知られており、それは島の住民が「大きな家族」だからでしょうか。興味深いのは、男木島の人たちは互いに苗字ではなく名前で呼び合います。名前で呼ぶために、知り合いでも苗字を知らないことがあります。私たちでも家族間では名前で呼び合うようなものでしょうか。

過疎化の傾向の中で町の活性化のために、住民は魅力づくりの努力をしてきました。例えば、島の象徴の灯台の周辺に、水仙を海岸から山に向けて約1000メートル植えたこと、海水浴場を利用してビーチバレーの会場を設置したこと、道路を少しずつ整備してきたこと、島留学を呼び込むための準備を始めたことなどです。これらは後述する芸術祭が始まる前に行われていました。島の過疎化を緩和するために最も力を入れたのはUターンやIターンの促進です。Iターン者には空き家の提供が効果的ですが、劣化した空き家を正常に住める状態にするにはリフォームの資金が必要でした。

2010年の最初の「瀬戸内国際芸術祭」を男木島でも行う計画が香川県から提案されました。それは島の人たちにとって、あまり馴染のない現代アートの展示イベントでした。それまで厳しい過疎化を経験してきた男木島の住民は、一過性のイベントの効果は期待できないと考えました。しかし芸術祭がもし継続的なイベントになれば、Uターンしたくなる男木島の魅力づくりが可能であると期待したのです。この芸術祭を過疎化する島の転機にするべく、これまでのまちづくりのように積極的に取り組むことにしました。具体的には、芸術祭の観光客を男木島に迎えるために、食事を提供する施設、トイレ、荷物預かり所などを整備したり、アーティストの作品展示のために空き家を提供したりしました。男木の主要なアート作品の一つとして、男木港にシンボル的な「交流館」もできました。

芸術祭が始まると、男木の歴史が始まって以来、初めて「島が沈むのでは」と思うほど大勢の観光客がきました。先に男木の特徴について触れましたが、島に来る人びとを歓迎する開放的な島民性は、芸術祭の観光客に大いに喜ばれました。また芸術祭によって男木に経済効果が生まれました。飲食の提供や荷物預か所などを男木コミュニティセンターが運営したため、男木の財政が潤ったのです。それは男木のまちづくりの経済的な基礎になり、過疎化する男木が再生する財政的な可能性を高めました。さらにUIターン者が従事する経済活動が必要なので、過疎化で生じた耕作放棄地を再生する活動が、男木地区コミュニティ協議会の主導で、2012年から2013年の冬にかけて1年間実施されました。

芸術祭後に住民同士が交流する機会が増えました。例えば漁協の施設を利用して漁協婦人部がビアガーデンを始めました。さらに島の体育館で高松の住民との交流、男木島周辺の島々の人との交流、島の高齢女性も含めたファッションショーの開催、「男木deあそび隊」という団体の活動、男木島・女木島を舞台にした大茶会(500人限定)などが行われ、交流が広がりました。

第2回の瀬戸内国際芸術祭が2013年に開催されました。男木ではコミュニティ協議会を構成する老人会や自治会などの団体が分担して観光客に応対しました。港にテーブルとテントを設置して簡単な食事を提供しました。漁師は生けすに入れた魚を販売しました。さらに「男木・島テーブル」という施設を設置し、島の住民が持ち寄った農作物や海産物を販売して、観光客との交流を促進しました。このようにして島の玄関口の港周辺に多くの住民が集まったので、観光客に対して作品の展示場所への道案内ができた上、観光客と住民の交流も自然に気軽に行われました。結果的に第1回の芸術祭を上回る経済効果も生まれました。

第2回の芸術祭で町にとって特筆すべき成果は、Uターンを希望する家族が現れたことです。それに伴ってまちの文化の要になる男木小中学校の再開が決定しました。定年退職者のUターンはこれまでもありましたが、子供が伴わないために学校の再開に繋がらなかったし、年金生活者なので島の産業づくりにも直接繋がりませんでした。この度のUターン希望者は高松市在住の3世帯の若い家族であり、島の産業づくりの力になるでしょう。そして2014年度には男木小中学校には6人の生徒が誕生しました。

芸術祭の後にも新たな試みが行われました。例えば島コンです。島コンは男木島が好きな人たちが、農業体験、漁業体験、郷土料理などを通して、男木で島生活を楽しむ企画です。男木島コミュニティ協議会や飲食組合が主催しました。第1回の芸術祭の前に植えた水仙も男木の観光資源になっています。移住希望者は3家族のUターン者以外にもいるので、彼らを島に受け入れるために、空き家を改修して住居を用意し、生活できる収入源もつくり出さなければなりません。生業となる経済活動やアイデアづくりに、島の人たちは知恵を絞ってそれぞれ活動をしています。例えば、男木の特徴のある味噌づくり、ハーブ農園を増やす活動など、島の自然資源を活かした特産品開発のアイデアが多数あります。観光農園や観光漁業の可能性も考えられています。また芸術祭の前に取り組んでいた島留学など特徴のある学校づくりの構想もあります。

男木は新たな段階に入っているようです。男木で交流活動が活発化し、以前より多くの人びとが訪れるようになったのは、芸術祭を通して男木島の存在が知られ、男木島に魅力を発見した人たちが増えたからでしょう。男木のどんな特徴が芸術祭やその前後のまちづくりを支えているのでしょうか。男木の人たちとの交流から得た印象や、この記事で紹介した住民の活動などから考えると、男木に伝統的に備わった文化的な「開放性」や「共同体意識」にその秘密があるのではないかと私は思います。

この男木島を紹介するテレビ番組「奇跡を呼ぶ島―過疎の島に集う人、宿る命―」をKSB瀬戸内海放送が制作して、明日4月14日土曜日に放送するそうです。(中島正博)

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