第2回 過疎高齢化する離島コミュニティによる地域活性化~瀬戸内・男木島の今~


先週4月13日に「過疎高齢化する離島コミュニティによる地域活性化~瀬戸内・男木島の事例」の記事を掲載した明くる日、4月14日から15日にかけて男木島を訪問しました。男木島を取材したテレビ番組「奇跡を呼ぶ島―過疎の島に集う人、宿る命―」の予告案内(4月14日放送)を見て、最後に訪問した2014年の後の最近の変化が大きいことを感じました。この4年近く男木島を訪問する機会を逸していたのですが、早速に今の様子を知りたいと思いました。

今年は芸術祭の開催年のような賑わいはありません。今、男木島は平常時です。週末の土曜日ですが男木港に昼過ぎに到着したフェリーから下船した乗客は10数人位でした。私は先ず豊玉姫神社のある島の高台に上がりました。瀬戸内海と島々が見える眺めの良い場所です。静寂な空間です。周りの森からウグイスの鳴き声が聞こえてくる以外は…。海と森と風の自然の中に自分も同化するような空間です。時々観光客らしき人の声がしますが、それさえも遠くからの自然な声のように感じます。この静寂は平和そのものです。都市の喧騒とは別世界の癒しの空間です。この島に来るには、陸上交通の効率的な乗り継ぎを諦めて、高松港で一日6便しかないフェリーに乗船した時から、この自然の「ゆっくりした時間」は始まります。

そうしているうちにチェックインできる時間になり、私がいつも泊まる民宿「さくら」へ行きました。楽しみにしていた午後4時から30分間のテレビ番組「奇跡を呼ぶ島―過疎の島に集う人、宿る命―」を、食堂で民宿のご主人と奥さんと一緒に見ました。番組では島へ最近40人が移住者して来たこと、その中の数家族のことが紹介されました。移住後に島で結ばれた橋本さん夫妻、男木島出身で18年ぶりにUターンした福井さん、福井さんが男木島図書館を開設、タイ・バンコクから移住した西川さん家族、世界を旅していて男木島に定着を決めたダモンテさん夫妻、島の互助の伝統「コウリョク」(前回の記事で紹介)の労働でダモンテさんが古民家を改修しカフェを開店、2017年に男木小中学校から二人が卒業、14年ぶりに島で赤ちゃんが誕生、2018年には3人目の赤ちゃんが誕生、市立男木保育所が再開されたことなどが紹介されました。島の人びとが空き家を紹介し、移住者を受け入れ、若い家族を見守っていることなどが番組で語られました。

島の住民のことは互いに家族のように知っている土地柄なので、宿の主人は番組で紹介された人たちのことを知っています。漁師希望の二人にはもっと漁に出て欲しいとも。その他にも、最近島で農業をしたいと移住してきた40代の家族、また外国人も移住してくること、さらに高松で働く公務員が男木に移住することなどについて紹介してくれました。そして男木小中学校では今年新一年生一人を迎えて、現在9名に増えたそうです。

宿の主人によると、リピーターの宿泊者は一人旅の若い人が多いようです。彼らは芸術祭が開催される賑やかな時期を避けて来て、朝日や星空を見たり、散歩をしたりして、島の「ゆっくりした時間」を楽しんでいるとのこと。そんな島に昔から住む宿の主人には、「ゆっくりした時間」は日常なので、「良く分からない」そうですが、私が島に着いて高台で感じた「自然の空間と時間」と共通した感覚でしょう。それは都市の喧騒を離れてホッとする空間と時間です。この島は癒しを与えてくれるのです。それはこの島の大切な宝だと思います。

次の日15日に訪れた島のお寺さんからは癒しの島のプロジェクトが進行していることを伺いました。東京工業大学の教員と学生が、お寺の敷地の一角に足湯とお風呂を造る計画を実施中です。その作業は島時間でゆっくりと進んでいるようで、いつ完成するか分からないけれど、大学の人たちが今まで島に2回長期滞在して取り組み、構想に向けて形が少しできていました。

先週の記事でこの島のまちづくりは「新たな段階に入ったようだ」と述べました。今回の訪問でその感を強くしました。男木コミュニティ協議会は島のまちづくり活動で最も力を持っていると住民は感じています。その協議会は自治会など幾つかの住民団体の役員から成っていますが、その役員が従来の住民から移住してきた若い人たちに替わっているのです。そして従来からの住民は、若い人たちに「お任せ」する気持ちが強くなっているそうです。その理由の第1は従来の住民がさらに高齢化したことと、第2は彼らの最大の目標であったUIターンが順調に進んでいることだと思います。高齢の人は自然の成り行きで次第に亡くなり、若い人々が移住してきたので、赤ちゃん3人を含む島の住民の平均年齢は70歳台から63歳に10歳も若返りました。

「新たな段階」と言っても、島に移住してくる人の生業づくりの課題が残っています。移住してきた人の生業は、漁業と農業(希望)、IT企業経営、飲食などの接客業、高松の公務員、保育所でのアルバイトなどです。本土に比べれば「不便」な生活を、彼らが持続的に営むようになるまでには、多少の時間を要するかも知れません。また3年毎の芸術祭が将来も必ず続くと、保証されている訳ではありません。香川県が実施する芸術祭の収支が、将来赤字になる可能性はゼロではないからです。しかし癒しの島であり続ければ、賑やかさを好まない観光客はほどほど来島するでしょう。コミュニティのまちづくり活動も従来のUIターン促進中心から、今後は新住民の生業づくりを中心にする必要があると思います。従来の住民は産業づくりの試みをしてきましたが、まだ本格的な産業として実現していません。新しい産業のアイデアやその芽はあるものの、住民の高齢化も原因であまり実現していないのが実情です。

UIターン促進の目標を実現する上で、男木島への注目を高めたのは芸術祭でしたが、そのチャンスを利用できたのは住民の開放性とコミュニティの力です。活性化のためには「地域の宝」に気づく「地域の外からの目」が必要です。移住者によってそれも獲得した男木島では、コミュニティの力でこれからの生業づくりの課題も乗り越えて欲しいと思います。今後の推移を楽しみに見守りたいと思います。(中島正博)

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