今回と次回の記事によって、近隣コミュニティと私の関係のイメージの変化についてご紹介します。登校児童の見守り活動とその前後の時間帯で、街のどんな風景を私は意識しているのでしょうか。先ず、私は朝食前に実践しているウォーキングのために6時半頃出かけます。健康のために散歩する街の人たちや、犬を散歩させる人たちは、すでに6時台から歩いています。ウォーキングから帰宅した直後、私はニュースを見ながら朝食を済ませ、急いで身支度をして7時45分までには再び外に出ます。そして児童の登校見守りのために、私が担当する近くの交差点に立ちます。(その交差点には、20年くらい前に登校児童の見守りをしていた町の人が、毎朝の活動をしていました)。
私が交差点に立つ数分前から街に人が増え始めます。早く登校する児童は私が現れる数分前から、私の持ち場の通学路を通り過ぎます。私が通学路に立つ頃から児童の通学が本格化します。一人で登校する子どもや十人程度のグループになって通る子どもなどさまざまです。私は文字通り「おはようおじさん」になりきって、彼らの目を見て挨拶を繰り返します。子どもたちの表情に応じて、私の「おはよう」の言葉は微妙に変化するようです。ほとんどの児童は挨拶を返してくれます。大きな声やほとんど聞こえないような小さな声、ニコニコ顔の明るい一年生、横目でチラッと見るだけの子、その挨拶は彼らの気持ちや個性を反映して、まさに多様そのもので子供の性格が現れている気がします。毎日大きな声で「今何時ですか」と聞くので、教えてあげると「ありがとうございます」と元気に礼が言える子もいるし、私を黙って見上げる身振りで時刻を気にする子もいます。
互いに顔見知りになると、子どもとの会話も次第に増えてきます。私が床屋へ行ったあくる日、私に「髪切った?」と聞いたり、いつも私がかぶっている帽子を「どうしてかぶってないの」と聞いたり、道端で見つけた雑草の花をくれたり、微笑ましい出来事もあります。学年の始めには母親と一緒の新一年生がいるし、交差点まで送ってもらって、「後は自分で行きなさい」と父親に言われて、名残惜しそうに後ろを振り返りながら歩いて行く子もいます。6月になるとそのような風景はなくなります。マンションの上階に母親がいるのか、手を振りながら歩く子もいました。道を二つ隔てた建物から母親と出てきて、母親に見守られながら横断歩道を渡ってくる子もいました。子どもが私の近くに着いたら、その母親は私に遠くからお辞儀をするので、私もお辞儀をします。遠いのでお母さんと挨拶をしたことはありませんが、お辞儀がまだ続いています。小学生が皆この道を通って登校を終えても、中学生や高校生の一部がもう少しの間この交差点を通ります。
歩いたり自転車に乗ったりして通勤している人たち、自転車の後ろに子どもを乗せて保育園へ行く母子などが、交差点の信号待ちでよく止まるので、ほとんど全員の顔を覚えてしまいました。挨拶に応じてくれる大人も多くいますが、イヤホンを付けて歩き私の声が届かない人もいます。多くの人たちはまるで時計のように、決まった時刻に交差点を通り過ぎて行きます。街の人たちの決まった朝の日課であり、生活の営みです。自転車や歩いて通り過ぎる人たちの名前を私は知りませんが、挨拶をするだけでこの街の住民として顔見知りになります。そして「ご苦労様です」と見守りの労をねぎらって下さいます。
この時間帯が過ぎると、幾つかの幼稚園のお迎えバスが、道路沿いに親子で待っている園児を乗せて行きます。私の正面50メートルくらいの先では、毎朝繰り返される母親による園児の見送り光景があります。園児が乗ったバスが角を曲がって見えなくなるまで、母親が両手を振ってバスの子どもを見送る姿は、バスの中から手を振っている子どもを私に想像させて、なんとも言えない微笑ましさを演じています。子ども達や通勤者に挨拶をしている間には、あちらこちらから住民が現れて、家庭ごみの入った大きな袋を最寄りのゴミ置き場に持って行きます。彼らもそれぞれ決まった時刻にゴミを出しているのです。
このようにして、朝の散歩をする人たち、児童たち、徒歩や自転車の通勤者たち、ゴミ出しをする人たち、その他の人たちは、決まった時刻に家から現れて、彼らの生活の一瞬に過ぎませんが、私と挨拶を交わします。一日の活動の始まるこの時間帯は、街の近隣の人たちが現れて、私には特別の風景のように感じられます。つまり風景の中にコミュニティの存在を感じるのです。この時間帯を過ぎると、住宅街のこの辺りは人通りの少ない風景に戻ります。次回は朝のこの特別な風景と街のコミュニティ意識との関係を考えてみます。(中島正博)