コロナ禍と正常性バイアス~人類は運命共同体

【おことわり】
中国新聞2021年6月5日のオピニオン欄に、中島正博が寄稿した「今を読む コロナ禍と正常性バイアス 他者への影響考えて行動を」の記事を、同新聞社の許諾を得てこのサイトに掲載します。5月7日に掲載した「コロナ禍に潜む『正常性バイアス』という見えない心の働き」の記事をさらに一般化した内容として書きました。

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【本文】
新型コロナウイルスの感染者増加の第4波は5月中旬に各地で過去最高を記録した。大型連休中に、3回目の緊急事態宣言が出ていた首都圏と関西地方から、宣言の出ていない地域へと人びとが移動したためだろう。その後追加・延長された緊急事態宣言には、広島県も含まれてしまった。これまでの感染防止策は「3密」や多人数での飲食を避けるなど、人の行動変容が強調されてきた。しかし行動を左右する人の意識は、行動変容の呼び掛けに慣れつつある。そのような慣れに伴う災害時の「正常性バイアス」に注目してみたい。

正常性バイアスとは、多少の異常事態が起きても、それを正常の範囲内であると判断し、心を平静に保とうとする働きのことである。安全な日常の経験そのものが、自分が「避難する、対策を講じる」判断を妨げるのだ。例えば、2018年に広島県や岡山県などを襲った西日本豪雨では多数の住民が犠牲になった。当時、迫る豪雨の危険を予想して、避難した住民は多くなかった。その理由として、問題になったのが、人間心理の正常性バイアスだった。

西日本豪雨だけではない。近年頻発する自然災害の後のインタビューに、「こんな災害は経験したことがない」と被災者は決まって答える。「経験したことがない」のと「災害に備えなかった」のは、正常性バイアスが人間心理の傾向であることの表れだ。正常性バイアスの傾向は、近代化の中で生活が便利になるにつれて、私たちの意識の中で広がっている。

人間は環境を改変することによって、不都合な自然現象を避けようとする。技術的な手段を開発して、便利さや効率を向上させてきた。その結果、自然現象は回避して安全・快適に生活できる、という感覚が増大した。私たちは自然の変化を昔ほど心配しなくても良い。例えば、ハウス栽培は天候や害虫から人間をより自由にした。ドーム付き野球場では天気を気にせず楽しめる。天気予報はより正確になり、天気を心配することは日常的に減った。病気も医学の発達で治るものが多くなった。

しかしまだ私たちは安全な日常を実現したとは言えない。例えば、便利なスマートフォンが依存症を生むように落とし穴もある。新型コロナウイルス感染の緊急事態の下、ワクチン接種で日常が戻ると私たちは期待している。ただその期待で人の意識に慣れや正常性バイアスが促されると、感染の波はまた現れる可能性がある。ワクチンの有効性は完全には分かっていないし、さらなる変異株の出現に対応できるか分からないからだ。このように科学技術の発達によって、利便性や安全性を向上させてきたものの、その手段を適切に使う人間自身の意識が社会でまだ十分に発達していない。そんな社会のコロナ禍において、正常化バイアスという意識の問題にいかに対処すればよいだろうか。

コロナ禍では、豪雨災害時における自分の避難行動とは異なり、自分と他者や社会への影響を意識した行動が要求される。正常性バイアスを抑制するには、自分が感染症対策をしない場合に起きうる社会的な結果を想像できるかどうかが重要ではないか。自己中心の発想になりがちな現代人が陥りやすいのは、他者が感染する不幸を想像しないこと、そして他者の不幸が自分に及ぶ影響を想像しないことである。私たちが現在のコロナ禍で今まさに経験しているように、自己と他者は無数の糸で不可分につながっている。人びとがそのつながりを認識し、自分の行動が起こすかも知れない結果を想像すれば、他者を思いやる自己になれるのではないか。思いやりや共感は意識的な行動の原動力であり、正常性バイアスを克服する力になり得る。他者や社会の安全に今まで以上に配慮するよう意識して行動する。それは自他共の幸福を追求する、人の生き方の表れでもある。

コロナ禍によって、全人類は運命共同体であるとの認識が広まったようだ。共同体意識と、それに基づく人の生き方は、感染症のみならず、社会の諸問題を解決する一助になるはずだ。(中島正博)

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