私のブログ


私もブログを始めることにした。「コミュニティづくり研究所」を通して、社会のお役に立ちたいと思っているので、私の問題意識をブログで綴ってゆきたいと思う。 私は一年前に退職して以来、運動は不可欠と思い、スポーツジムへ通い、公園を歩いたり走ったりしている。公園を歩いていて人に出会うと「挨拶」をするかどうか?この挨拶がコミュニティづくりのいろはの「い」である。自然体で誰でも挨拶できば良いが、多くの場合相手を知らず、私は挨拶すべきかどうか瞬間に迷うことがある。道のタイプにもよるだろう。この街の人だ、私と同じように運動のために散歩している人だ、と思えば「こんにちは」の一言が出やすい。私が散歩をした今日もこの意識が現れるのは残念だ。もっと楽に挨拶したい。

どこの町でも学校でも「あいさつ運動」がある。自然に挨拶が生まれないので「運動」にしなきゃならない。互いに知った間柄なら挨拶は自然だが、知らなくても挨拶をして、次第に仲良くなれば、コミュニティが広がり友達が増えて、社会での楽しさも増えるだろう。

挨拶を気軽に交わすかどうかは地域性もあるようだ。知らない土地で挨拶をされ、気持ち良い経験をする地域もある。国内ではそんな地域性があり、外国では挨拶のしやすさに国民性がある。また時代性もあるだろう。

趣味を同じくする人たちには自然に親しみや挨拶が生まれる。山登りでそれを感じる。やはり仲間意識が挨拶の心理ではないかと思える。仲間意識にも「開かれた」仲間意識と、ギャングのように「閉じた」仲間意識もあるが、開かれた地球市民的な意識が広まれば世界は、「サラマレクン(アラビア語の挨拶で『平和を!』)」を願ってより平和にならないだろうか。ということは挨拶と世界の平和は心のレベルで繋がっているように思われる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA