地域コミュニティの必要性とコミュニティの成長(2)

このサイトを2年前に開設して以来、「地域コミュニティの必要性とコミュニティの成長」の記事(2017年6月17日)へのアクセスが最も多い状態が続いています。このトピックへの関心にお応えするために、関連する記事をもっと書こうと考えていました。今回はその努力をしてみます。

地域コミュニティが希薄化した今日でも、私たちの社会生活は機能しているので、地域コミュニティの重要性の切迫感が、社会全体でまだ共有されていないように思います。私たちの社会や生活の中で、地域コミュニティはどんな役割を果たすのでしょうか。

人生を時間的に通して見れば、地域コミュニティの役割や必要性はさまざまに変わるでしょう。例えば大きく分けると、地域社会による子育て支援、ママ友づくり、趣味のグループ活動、児童・生徒の生活空間で学校の友達ができ、働き盛りの時は地域行事を盛り立て、高齢になれば地域の友人としてのお付き合いができます。

地域社会の機能でみれば、大きく分けて町内の防災・減災、防犯、生活環境の保全、自治会や社会福祉協議会のイベント開催、町内の公園や集会所を含む地域資源の管理、などの必要に地域コミュニティが応えています。特に高齢者には地域社会の機能が大切でしょう。高齢者が孤独や孤立に陥らないよう、高齢者の間の助け合いや見守りなどが必要です。

地域社会の特徴によっては、経済活動をする地域コミュニティもあります。農業、林業、漁業、商業などさまざまな生業や、生産資源の維持・管理のために、組合の共同作業で地域住民が協力し合う役割があります。

そもそも人は人間関係の中で生活をしています。従って人間関係から成る地域コミュニティは、社会の維持において無数の役割を演じています。地域住民との良い関係を保つように、人間関係は相互に倫理や社会のルールを守ることを促進するでしょう。

これらの地域社会の必要にもかかわらず、コミュニティの多くの機能が弱体化しています。昔は地域コミュニティの助け合いがなくては、生活が成り立たなかったのに、現代は地域コミュニティが希薄化しても生活できるのは何故でしょうか。その大きな理由は、生活上の多くの「必要」が個人的にお金で満たせるからだと思います。今はほぼ何でもお金で買うことが出来ます。個人主義の社会を背景にして、地域の人びとと助け合わなくても、個人で簡単に「必要」を満たせることが、「利便性」として重要な価値になりました。社会で新たな必要が生まれれば、それを満たす産業や業種が現れます。

そのような利便性を提供するサービスや製品を購入するために、生活費は上昇し夫婦共働きも普通になりました。今後も利便性を提供するサービスはさらに増えて、そのサービス消費がやがて人びとの生活の標準になり、それを購入できなければ欠乏感が生まれます。しかし先にあげた地域コミュニティの役割や機能や助け合いができれば、個人主義の世界で便利な有料サービスの多くは、助け合いによって「必要」を満たす人びとには不要でしょう。また同時に助け合いのなかで、地域に人々の触れ合いが増える幸せを得ることも出来ます。

人は高齢化すると心身の衰えによって出来ないことが増えます。それをサービスの購入で解決すれば、お金の必要はさらに増えます。しかし経済格差が進む日本社会では、誰もがまた何でもお金で解決できる訳ではありません。だから近隣の助け合いが大切になると思うのです。例えばゴミ出しや独居者の見守りなど、高齢社会で増えるいろいろな必要を満たすためです。制約のある公的な介護サービスのみでは不十分です。高齢者と同様にいわば社会的弱者の子どもにも見守りが必要です。例えば「子供の貧困」を解決する方法の一つとして、全国の各小学校区に「子ども食堂」を一つつくる目標の実現が望まれています。

大きな自然災害が毎年のように起きています。近隣の人びとの助け合いによって、被害を軽減できますし、被害を受けた地域を復興し再興するためにも、地域コミュニティが必須であることは過去の災害が証明しています。

今回は地域コミュニティが私たちの地域社会で果たす役割について少し整理してみました。人間は社会的な存在なのでコミュニティの役割は無数にあり、この記事で網羅することはもちろんできません。私たちのアイデアや工夫で、助け合いの仕組みをさらに開発すれば、住み良い社会づくりに貢献するでしょう。助け合いの文化がすぐに復活し普及するとは思いませんが、その再興の芽はすでにあると思いますが、如何でしょうか。(中島正博)

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