いまさら互助生活?これから互助生活!

伝統的社会で人びとは互いに助け合って生きてきました。冠婚葬祭でも地域住民の協力で執り行われてきました。住民が助け合うためには地域コミュニティがベースに必要ですが、人間関係の希薄化によりコミュニティは弱体化してきました。地域コミュニティが担ってきた役割の多くは、お金を払えば得られるサービスとして、経済成長の一翼を担ってきました。それなのに今更なぜ互助生活について言い出すのでしょうか。

人間関係が希薄化すればするほど、お金を払ってサービスを購入するようになるのは当然の成り行きです。地域コミュニティに参加する余裕が無いほど長時間働きます。地域コミュニティの互助や共助で得られないサービスを購入するために、結局出てゆくお金も増え続けるのが現代の大勢です。私たちは昔よりお金を稼いでどれだけ幸福になったのでしょうか。もちろん物質的に飽和するほど豊かになりましたが、人びとの心は孤独になっているようです。人間関係が希薄化した結果です。

経済活動をさらに拡大しようとする日本や世界の勢いは衰えませんが、他方、モノやサービスをシェアしようという動向も拡大しています。カーシェアリング、シェアハウス、民泊の部屋や道具のシェアまでも現れて、消費を減らしてさらに人間関係も作ろう、という傾向も広がっています。シェアするモノやサービスは今後さらに広がるでしょう。互助・共助を拡大するには、人間関係希薄化の過去の動向に反して、人間関係を拡大することが必要です。つまり結局、コミュニティづくりが求められるようになるでしょう。そこで人々の人間関係を広げるツールとして盛んになったSNSの役割が、需要者と供給者を繋ぐために、シェアエコノミーを拡大するツールとして大きくなっています。

さて今、地域では何が起きているでしょう。やはり互助や共助が求められています。特に地域で暮らす高齢者の福祉には欠かせなくなると思います。高齢社会を幸せに暮らすには、孤独ではなく地域住民の交流そのものが不可欠です。人間は一人だけの幸せはなく、人と交流して喜んでもらったり、共に悲しんで力をあげたりもらったりして、人生の晩年を過ごすことが自然でしょう。次第に心身にできないことが増える中で互助が求められます。人間同士の交流を続けていればこそ、助け合いも自然な形で出来ると思います。表面的には助ける側と助けられる側に二分できることもあるでしょう。助け合うのが人間性であり、「お互い様の文化」に支えられて、一人の人間は助ける人にも助けられる人にもなるでしょう。

私の近隣の町内会は、生活支援事業部という部門を設けて、住民の種々のニーズに応えて、助け合うことを長年続けています。やはり高齢化に対応して何でもやりますという支援です。また広島市ではホームページに以下のようなボランティア(住民主体型生活支援訪問サービス)の募集をしています。「『住民主体型生活支援訪問サービス』は、地域団体等(町内会、地区社会福祉協議会等)が、簡易な生活支援があれば、居宅で自立した生活を送ることが可能な要支援者等の自宅を訪問し、生活の支援を行うサービスです」。少し硬い表現ですが、地域で助け合いができる社会を目指しているようです。さて私たちは何から始めればよいでしょうか。隣人との挨拶から初めて、ボランティア活動をしたり、「おやじの会」を立ち上げたり、町内会のお手伝いをしたりできるし、自治体のホームページにアクセスしてもたくさん見つかると思います。

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