登校児童見守りボランティアの夢

コロナ禍の影響で私たちの地域のボランティア活動が制約されています。私が日常的にしているコミュニティの活動は、通学路の登校児童の見守りボランティアと、週1度の太極拳の練習だけです。

私が担当している通学路では毎朝70人くらいの子どもに会います。コロナ禍の前は子どもと元気良くハイタッチをしていましたが今は感染防止のために控えています。マスクをして目だけ出して、「おはよう」、「いってらっしゃい」だけではもの足りません。マスクをつけた学校の授業でも、互いの表情が良く分からないので、子どもの心理的発達に良くない影響があるようです。それもあって、最近私が心掛けているのは、子どもの目をしっかり見てあいさつすることです。コロナ禍で人の表情が見えなくなった時だからこそ大切でしょう。たいていの子どもは私の目を見て挨拶をしてくれます。アイコンタクトがないと、反応のない「かかし」のようで、子どもをちょっぴり失望させるでしょう。人と人のコミュニケーションに大切なのは、互いの目が合って、目の奥の心が触れ合うことでしょう。その触れ合いが毎朝学校へ通う子どもを励まします。

子どもの心は敏感です。目が合って、おじさん(お爺さん?)と「自分」の挨拶ができれば、心の窓が少し開いて、小さな結びつきを確認できるかもしれません。しかし「ロボットやスピーカーのような挨拶」では成長のための子どもの心の栄養にはなりません。

また子どもは毎朝、さまざまな気持ちで登校しています。私は子どもの表情に応じて挨拶するよう努めます。私の目をしっかり見る子もいます。嬉しそうに笑って挨拶する子どももいます。友だちとふざけたり会話に熱中したりして挨拶どころではない子もいます。悲しくも無視されることもあります。振り返って挨拶する子もいます。恥ずかしそうにする子もいれば、小さな声で挨拶する子もいます。それぞれの子どもの成長過程に応じた挨拶をしていると思えば、「おはようおじさん」の毎朝の出勤は、たとえ挨拶が返ってこなくても、子どもの成長を見る楽しみに変わります。

さらに私はできるだけ子どもに話しかけるようにします。緑のジャンパーを着たボランティアおじさんは、子どもに話しかけても「不審者」扱いされません。何とかきっかけを見つけて子どもに話しかけます。遅れそうな子には「今何時何分だよ」、「今日は遅くなったね」、逆方向に走っている子には「忘れ物をしたの?」、兄弟と知っている子には「お姉ちゃんは先に行ったよ」と。何かのきっかけを見つけて子どもと話をしたいのに、ネタは思うように直ぐ見つかりません。小学児童は信号を渡って、私の前をすぐ通り過ぎますが、中学生は信号待ちをする時間があります。中学生の方は小学生よりも話す話題が増えます。クラブ活動や得意科目など、もっと気さくに多くの小学生や中学生の子どもに話をしたい、と思う昨今です。人と人の関係が希薄になった現在だからこそ、人の心を自然に開く自分になりたいのです。

そして私には夢があります。やがて子供たちが大きくなって卒業して、この町に住んで街角であった時に、互いに挨拶ができれば何と素晴らしいことでしょう。今でもその兆候はあります。例えば、私が街を歩いている時、毎朝挨拶する子ども達に会ったり、声をかけあったりすることが時にあるのです。(中島正博)

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