認知症と「歳のせい」のあいだ

新型コロナウィルス感染の緊急事態宣言が9月30日に解除されて、町内のさまざまな活動が再開されています。今後に予想される感染拡大を考えると、諸々の町内活動ができるのは今しかない、という気持ちが住民にあるようです。私の参加する太極拳のクラスが再開されたし、地区社会福祉協議会が主催する「認知症サポーター養成講座」が先日10月23日に開催され、私も参加しました。

昨年初頭、私が「認知症サポーター」になると同時にコロナ禍が始まり、サポーターの活動は棚上げされました。認知症サポーター講座にはこれまで何度か参加しました。講座では日本人の平均寿命の延びによる認知症高齢者の増加予測が紹介されました。例えば、平均寿命が90歳を超えると61%の人が認知症になるそうです。その医学的な原因の説明として、一般にアルツハイマー病、レビー小体型認知症、血管性認知症などがあり、それぞれの原因に伴う特徴的な認知症の症状があります。さらに認知症は脳の「病気」の症状であって、「歳のせいではない」そうです。

私は医者ではありませんが、認知症の原因について疑問を感じることがあります。人間は誰でも歳を取れば、長年使い続けてきた身体の器官は疲れて、一般に体は次第に衰えます。また逆に身体をあまり使わない場合、使用しない体の部位は次第に衰えます。筋肉はその典型でしょう。いずれにしても歳を取れば体は衰えて、それは「歳のせい」も含みます。しかし、認知症は後者の身体をあまり使わない場合にも発症するケースがあるのではないかと思うのです。

現代の都市生活は便利になりました。というより「豊かな生活」を求めて、都市をつくり、文明の利器が発明されて、諸々の技術革新によって、経済も成長しました。その技術革新には生産性を向上させる機械化も多く含まれます。それは人間を重労働から解放し、健康的で価値的な生活に貢献しました。しかし逆の側面があることも私たちは学びました。技術はプラスにもマイナスにもなるからです。加工食品に含まれる化学物質によって、未知の悪影響に私たちは侵されているかも知れません。都市の人びとの疎遠な人間関係も、身体において特に脳の活動を不活発にします。

技術革新を促進している要因の一つは現代社会の「便利至上主義」です。社会的に「不可欠」なサービスは別にしても、単なる「楽」を求める「便利」もあります。言わば快楽追求でしょうか。現代社会ではその便利至上主義の流れに乗って、快楽追求から認知症を患わぬよう、用心が必要だと思います。自動化は便利だと喜んでいたら、体も頭も使わなくなり、そしてついに使えなくなり、認知症の症状に近づく怖さです。但し「不可欠」も「便利」も主観なので一概には言えませんが、できる限り自分の体と頭を使うことが必要です。お金で諸々のサービスを購入できる都市部では、快楽追求に起因する認知症にならぬよう留意すべきでしょう。二つの病(快楽追求と認知症)でダブルの出費になってしまいます。現代社会は便利を追求するので、快楽追求は文明レベルの問題ですが、先ずは個人レベルの快楽追求によって、自分の認知症リスクが増大しないようにしたいと思います。

都市部とは異なる社会環境の農村部ではどうでしょう。お天気を見ながら作物をつくり、自然環境の恵みに感謝しながらも、害獣から生活を守りながら人びとは暮らしています。お金を出せば直ぐに弁当を買える店は近隣にないかもしれません。農村の社会環境は便利ではないために、日常的に自分の体や頭脳を使う工夫をしないと生活できません。そのような生活様式においては、体や頭脳が刺激に反応し続けているので、認知症になれないかも知れません。人びとが交流して支え合う工夫も農村部に必要な特徴です。そんなことを考えながら、私は認知症サポーター養成講座の講師に質問をしてみました。やはり都市部に比較して、農村部では認知症の割合は少ない、という研究結果はあるとのことでした。

医者でもないのに、私が以上のような推測をしたのは、不適切かもしれませんが、認知症は生活様式や社会環境にも関連する問題として、国民的に考える必要があると思ったので、敢えて記事にしました。皆さんは如何お考えでしょうか(中島正博)。

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