
町内会に非加入の住民は町内の共同ゴミ置き場にゴミを置く資格があるのか、という議論が古くからあります。私の以前の記事でもゴミ置き場について書きました。その記事では、「町内会の出費や手続きを経て、ゴミ置き場の共同施設を町内会が設置するので、厳密に言えば町内会費を払っていない非加入者は共同施設を利用できないことになります。しかし町内会に入っていない場合でも、一般には共同のゴミ置き場の利用を拒否されることはありません。それに対する異論はありますが、町内会は寛容に対処しているようです。」と一般的な理解を文章にしました。しかし、この理解は厳密には不十分なことが分かりました。その切っ掛けは『地域再生と町内会・自治会』(中田実他著 2009年)を読んだことです。この著書に関する私の理解に基づいて、この記事を書くことにしました。
結論を先ず紹介しましょう。この本の著者は次のように述べています。「町内会の会員が望んで行った事業で、その結果として会員が共益的利益(例えばゴミ置き場の利用)を受けているのであれば、それで(町内)会の目的は十分に果たされているわけで、会員以外の住民その他の不特定多数の人々がそこで利益を受けることがあっても、それは不公平というより、(町内会)会員が受けている利益から副次的に生まれる「反射的利益」にすぎないとしています。『花いっぱい運動』で美しくなった生活環境を楽しむ会員のまわりで、非加入者も楽しんでいてもいいではないか、というわけです。」
この考え方は、町内会への加入・退会の自由を認めた最高裁判決(2005年4月26日)が、町内会非加入者が共益的経費の負担を免れている事実を認めたことに由来しています。上に例示された「花いっぱい運動」の環境美化は「反射的利益」の分かりやすい例です。防犯活動でもそうです。防犯パトロール活動による防犯効果は、町内会の加入者であってもなくても、町内の住民全体に及ぶからです。
著者はさらに逆の立場すなわち、町内会会員が町内会以外の例えばボランティア活動の利益を受ける場合、に置き換えて説得的に論じています。「NPOやボランティア団体がそれぞれのミッションとして、たとえば教育や福祉、環境、男女共同参画、多文化共生、平和など多様な課題に取り組んでいるとき、それは各団体会員の労力や資金の負担で行われています。それを地域課題とみれば、それら団体の会員でない町内会員は、かれらの活動から利益を受けているといえます。各団体はそのメンバーが町内会の関係者である場合も、そうでない場合でも、地域に対して種々の貢献をしています。町内会が自分たちの活動の負担だけを意識して、タダ乗りとしての(町内会)非加入者を非難することがありますが、(中略)町内会側にこうした団体の活動や実態や成果がみえていないままで、これらの団体や(町内会非加入の)メンバーをタダ乗りとして批判するだけでは一方的です。」
町内会の活動の成果であっても、他団体の活動の成果であっても、それらは地域社会に広く貢献し利益をもたらすためです。したがって、町内会や各団体の活動や費用を負担していてもいなくても、日本人でも外国人でも関係なく、それらの活動の利益が地域の人に広く及べば喜ばしいことです。町内活動で大変な苦労を担っている、町内会・自治会の会員や役員の割り切れない気持ちが、タダ乗り批判に向かうのは人情として理解できますが、会員・役員は本来社会貢献の意義や理想を担っていることを思い起こせば、その気持ちはおさまるのではないでしょうか。
町内会と各種ボランティア団体やNPOとの関係についても、著者は次のように言及しています。「地域の問題への対処は町内会のみの『独占事項・専管事項』ではないことを理解することが必要です。」と断った上で次のように述べます。「町内会が地域全体の問題に包括的にかかわる組織であるということは、町内会がボランティアや各団体に介入したり、何か命令や指示をしたりすることができる、ということでは決してないことは確認しておかなければなりません。その上で、地域の共益のためにそれぞれが努力しあい、交流を深めることを通して、全体として地域福祉の増進に寄与することが目指すべき方向です。」
町内会やボランティアや各団体の活動は、近隣同士が助け合うお互い様の「優しい社会」を創ることが本質的な目的です。町内会非加入を理由にタダ乗りを言うようなギスギスした関係ではなく、人に優しい社会を築く観点から考えるべきなのでしょう。そうすればタダ乗り批判は的外れなのだと思います。(中島正博)
*括弧で示した書籍から引用は文章の一部を分かりやすく変えています。