「フェーズフリー文化」で巨大地震の被害を軽減

東日本大震災後 宮城県南三陸町防災対策庁舎 (筆者撮影2011.9.10)

2024年8月8日、日向灘の地震発生に伴って「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」が発表されました。それは「南海トラフ地震の想定震源域では、新たな⼤規模地震の発⽣可能性が平常時と⽐べて、相対的に⾼まっていると考えられる」というものでした。1週間後にこの呼びかけ期間は終了しました。「マグニチュード8から9クラスの南海トラフ巨大地震が今後30年以内に70パーセントから80パーセントの確率で起きるとされ、いつ大規模地震が起きてもおかしくない」と、繰り返し報じられています。このような巨大地震に対して、社会はどのような態度で向き合えば良いのでしょうか。「そんな大災害が起きたら自分の命は諦める」という考えは家族や社会に対して無責任でしょう。

日本の各地で甚大な地震災害が起きるたびに、私たちは災害対策の必要性を強く感じて、家具などの安全対策や食料・水や防災グッズの備えを、家庭の中で繰り返してきました。しかし被害を軽減する対策は防災グッズの購入だけでは済みません。甚大災害の影響は災害発生直後から、その後の復興期間を含めると十年以上の長期間にわたります。すなわち、倒壊家屋や火災や津波からの避難、倒壊した家屋から隣人の救助、避難場所での生活、水・電気などのライフラインの復旧などを始めとして、災害廃棄物やガレキの除去・集積・処理などです。さらに長期的には、地域の復旧・復興計画に関する行政と地域住民の間の調整プロセス、地域産業の復興、そして道路・鉄道などの交通インフラや復興住宅の建設など、無数の復興事業を経なければなりません。

今後、高い確率で起こりうる巨大地震によって、戦後最大の国難を迎えることを考えると、震災を最小限に抑えて、効率的な復興を進められるように、平時にこそ最大限の備えをするべきでしょう。しかし過去の災害の恐怖を忘れがちな人間にとって、平時において有事に備えることは容易ではありません。それを忘れないために、災害遺構や防災訓練や家庭での防災対策は役立ちますが、巨大地震の甚大な被害や長期間の復興事業を考えると、防災の備えをさらに深化かつ進化させる必要があると思います。

例えば、私の町では先日9月21日に、災害の起きたときに準備をしてい「たら」、対応を知ってい「れば」の意味を込めて、「たられば防祭」と名づけられた、防災を学ぶ催しが行われました。また、南海トラフ地震によって、大きな被害が想定されている徳島県鳴門市では、街の全体が「日常と災害時の局面をなくして、日常の生活の中で使うものを防災に役立てる」という考えで、教育・福祉・まちづくり等の政策に取り組んでいます。この考え方は「備えない防災」とも呼ばれており、日常と災害時の局面(フェーズ)をなくす「フェーズフリー」の防災です。鳴門市の「道の駅くるくるなると」は、このフェーズフリー防災を取り入れて、食品売り場で売られている商品は、災害時に非常食として提供し、24時間開放されている屋上スペースは、普段は子どもたちが遊べる公園、災害時には車椅子も使用できる津波からの避難場所になります。

そんなフェーズフリーを提唱して全国で普及に取り組んでいる「フェーズフリー協会」が存在します。防災のためだけに特別な対策をするのではなく、日常生活で利用するものの中に、防災の備えを取り入れるのです。それによって、災害前の平時の日常でも、災害時でも役立つ生活様式、建築、コミュティ、街、国土などをつくることができれば良いと思います。たとえそれが多少費用的に大きくなっても、災害時に失われる人命と復旧・復興時の膨大な費用を考えれば、フェーズフリーは賢明な選択ではないでしょうか。

フェーズフリーは震災対策に役立つ生活様式が日常の一部になります。また表現を替えれば、フェーズフリーの新たな生活様式が震災対策にもなります。そのような新たな生活様式、言わばニューノーマルが当然の生活様式を創造すれば、その生活様式は地域の文化になります。その地域文化を仮に「フェーズフリー文化」と呼びましょう。フェーズフリー文化の社会では防災が文化に組み込まれているので、防災を特に意識しなくても、防災に役立つ社会環境の中で日々の生活が営まれます。平時でも災害時でも役立つ生活様式、建築、コミュティ、街、国土の創造は、ある意味で究極の災害対策ではないでしょうか。国の存立に関わる巨大地震を視野に入れると、可能な限りの災害対策が求められると思います。(中島正博)

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