西日本豪雨の被災と復旧の語り部に代えて~第6回 10月の1カ月間

今回、注目するのは豪雨災害後、約4カ月目の10月の1カ月です。中国新聞朝刊から作成した災害関連記事の見出しデータの表を文末に掲載し、それに基づいて被災から復旧に向けた出来事を解説します。

9月末から10月始にかけ、台風24号の影響で鉄道、バス、フェリー、航空機など交通機関の運休が相次ぎました。土砂崩れの被害も出ました。西日本豪雨の被災地(広島市白木町、三原市、尾道市、庄原市)では避難指示も出ました(1日の記事、以下同様)。鉄道は9月と同様に10月も再開が続きます。山陽線の白市~三原が9月30日に復旧し(1日)、広島県内の山陽線はすべて復旧し人の波が戻りました(2日)。芸備線は三次~備後庄原が再開し芸備線の55%が復旧します。福塩線は塩町~吉舎が再開します(5日)。山口県内の山陽線は台風24号の影響で遅れましたが、柳井~下松が13日に運転を再開し、99日ぶりで貨物輸送も含めて全線が復旧しました(14日)。呉線は広~安芸川尻が101日ぶりで再開し(15日)、安芸川尻~安浦も再開(29日)しました。福塩線の上下~吉舎が再開し(19日)ました。呉線と福塩線の全通は年内と伝えられました(17日)。国が補助をする被災した道路・河川の復旧事業は広島県内で約7千か所に及びますが、県内の業者が不足し1割の760件は測量設計が未着手のため、県は業者の全国公募に踏み切りました(12日)。業者の不足は損壊家屋の解体作業にも遅れをもたらし、土砂やがれき置き場になっている熊野町民グランドの利用再開は、2019年11月以降になる見込みです(23日)。

被災から3カ月が経過した6日には、広島と岡山県で約400人が避難所で生活し、仮設住宅に277世帯が生活し、みなし仮設住宅や公営住宅に約4200世帯が入っていました(7日)。広島県の避難所は広島市安芸区と三原市の2か所のみで、坂町は避難所をすべて閉じました(7日)。広島県内の避難指示はすべて解除されました(11日)。ボランティアセンターはピーク時に広島県内19市町22カ所で開設されました。残る7カ所のセンターのうち、尾道市、熊野町は10月下旬に閉鎖し、広島市安佐北区、呉市、福山市は10月末で閉鎖されました。竹原市は11月上旬に閉鎖します。広島市安芸区、三原市、坂町は支援依頼が多く寄せられているので継続します(31日)。広島市は土砂撤去費用の償還を29日から受け付けます(26日)。

9月に始まった「早めの避難」に関する「検証」の連載記事は、10月の第7回は自分の地区外の緊急速報メールまでも受信した結果、大量の避難情報が慣れを生んだ事例(1日)、第8回はこれまでの連載を通し浮かび上がった課題として、被災体験を住民の間で共有することです(5日)。西日本豪雨で死者がでた13府県39市町の首長の4割が、避難情報に課題が残ったと考え、10市町は避難情報を出す基準を見直したか、見直しを検討していることが判明しました(6日)。

連載記事「よみがえる団地」と題して、壊滅的な被災をした広島県熊野町川角の団地「大原ハイツ」の住民による、町の再生を目指す活動が掲載されました。鉄道や道路の復旧は進んでいますが、生活の再建は年月のかかる道なき道です(6日)。被災前の大原ハイツの住民113世帯の内、76世帯が被災あるいは災害の再発を恐れて、団地の外の町営住宅などの避難先に住んでいます。住民有志が「大原ハイツ復興の会」を設立して、行政や町内会や弁護士たちと連携して、団地の再生のための活動を開始しました。大原ハイツの住民は生活再建の経験を学ぶため、4年前の「広島土砂災害」の被災者を訪問しました(10日)。避難時には隣近所に声をかける住民同士の絆や防災計画づくりなど、復興へ向けた具体的な活動内容はこれから決めます(21、22,23日)。

連載「被害拡大のなぜ」と題する7回の検証記事が、西日本豪雨災害の特徴を整理して掲載されました。第1回は空前の豪雨をもたらした、「大気の川」とも呼ぶべき大量の水蒸気が流入した気象要因(24日)、第2回はダムの緊急放流(25日)、第3回は大量の土砂の流出と避難の遅れ(26日)、第4回はライフラインの水道施設も土砂災害を受けたこと(27日)、第5回は農業の衰退で放置されたため池が決壊したこと(29日)、第6回は鉄道、国道、高速道路などの動脈が寸断され、同時不通に陥った車社会のもろさ (30日)、第7回は纏めとして、リスク管理の見直しと住民の情報を活用する必要性が指摘されました(31日)。

復興支援のイベントも行われました。例えば、広島市安芸区矢野で復興みこし(8日)、呉市天応で秋祭りの代わりに犠牲者を悼む復興祈願(8日)、坂町小屋浦では復興への思いを託す秋祭り(18日)、ソロプチミスト広島による被災地支援のバザー(18日)、広島城一帯で復興支援の募金やフードフェスティバル(28日)、広島県内の愛好家たちが被災した山林道を整備(29日)。被災した小屋浦郵便局が再開し日常が一つ戻りました(5日)。10月も被災者の子どものケアが行われました。例えば、広島県の臨床心理士による情報発信(13日)、安芸区で児童が豪雨体験を語る作文発表(28日)、奉仕団体が坂町の被災児童を宮島に招待(30日)、などがありました。

防災や災害関連の出来事もありました。2021年度末を目標に不要なため池の廃止(4日)、外国人が災害弱者にならないよう、易しい日本語や英語で防災情報を廿日市市が発信(5日)、防災関連本への関心の高まり(6日)、地震に備える電力供給の分散や豪雨対策と治水の強化を盛り込んだ、政府の今後5年間の防災減災対策の国土強靭化改定案が明らかになり(8日)、安佐北区倉掛での防災訓練に415人もが参加し(8日)、救助活動で殉職した広島県警の3警官を悼み(10日)、防災士養成研修に広島市内の参加者が急増し(12日)、熊野町で防災条例が制定され(20日)ました。豪雨災害の関連死の可能性が広島県内7市町で15人になり、迅速な認定作業が課題になりました(6日)。広島市の自治会による防災マップの作成状況は、いまだ3割に止まっています(13日)。

被災企業を支えるために、広島銀行や中国銀行が設立を目指している新ファンドの設立に、日本政策投資銀行が参画することを発表しました(4日)。災害時の事業継続計画(BCP)について広島の経営者たちが講演会で学びました(11日)。ひろしま産業振興機構は被災企業の販路開拓を支援する緊急商談会を開きました(16日)。旅行会社やホテルは中国地方に客を呼び戻すため、「ふっこう割」に対応するツアーやプランなどの知恵を絞り(20日)、西日本13府県で「ふっこう割」を1月まで延長しました(25日)。日銀の10月の景気判断によると、災害の影響が響く中国・北海道を下方修正しましたが、豪雨被害からの復旧により被害の影響は低減して、中国地方の基調は拡大方向にありました(19日)。

以上のほかにも、本文の後に掲載した表「記事見出しデータ」から分かるように、災害に関連する多くの出来事が報じられました。

(中島正博)

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