今回、注目するのは豪雨災害後、約5カ月目の11月の1カ月です。中国新聞朝刊から作成した災害関連記事の見出しデータの表を文末に掲載し、それに基づいて被災から復旧に向けた出来事を解説します。
豪雨被害が集中した7月6~8日の間に、広島県警が受理した110番は合計5880件に上っており、時間帯によっては繋がらないパンク状態が続いていました(6、27日の記事、以下同様)。広島市消防局も対応しきれない件数の119番を受理していました(27日)。当時のツイッターの「#救助」を分析すると、当事者が救助を求めて発信していたのはわずか5.7%であり、圧倒的に多い8割の無関係な投稿の中に、緊急の救助要請が埋もれていたことが分かりました(6、27日)。
鉄道の復旧は9月と10月でヤマを越したようです。11月の復旧は報じられませんでしたが、呉線、福塩線、芸備線の3区間が12月に運転再開の予定になりました(10日)。芸備線の狩留家~三次の再開は、鉄橋の復旧を含むので来年秋です(6日)。その鉄橋の復旧作業が始まりました(23日)。広島県坂町小屋浦に9基の砂防ダムが2019年末までに整備される予定です(6日)。広島市佐伯区美鈴が丘中に豪雨で流入した、大量の土砂が除去されグラウンドが復旧し、体育・部活動が4ヵ月ぶりに再開されました。
広島市安佐北区井原の避難勧告が解除されました(1日)。広島市内の避難所生活は矢野小学校の避難者が移住してゼロになり (1日)、広島県内の避難所の避難者は三原の3世帯が退出してゼロになりました(13日)。しかし自宅に戻れない被災者は仮設住宅、みなし仮設、公営住宅などでの生活が続いています。行方不明者の捜索は続いており、4カ月目の11月6日には広島・岡山で8人がいまだ不明ですが、三原の沼田川で車が発見されました(7日)。この頃、災害関連死として岡山県で5人が認定されました(9日)。
被災した全半壊の家屋を公費で解体できますが、業者の人手不足のために解体済みは広島県15市町で申請した767件のうち2割に止まっていました(7日)。解体の遅延は被災者の生活再建に影響を及ぼしています(7日)。広島県熊野町は「みなし仮設」の入居の期間を、原則の6カ月から最長2年まで延長する方針を明らかにしました(8日)。10月に避難指示が解除された後も、二次災害を懸念して自宅に戻れない住民がいるためです。中国財務局と坂町は住宅再建について相談会を開き、被災家屋の権利証の紛失、住宅ローンの返済や借り入れに関する相談に応じました(9日)。広島県府中町は民有地の崖崩れの早期修復のために、費用を補助する独自の制度を実施します(23日)。西日本豪雨、大阪北部地震、北海道地震の災害復旧・復興のために、7275億円の政府補正予算が成立しました(8日)。
広島県内に残された3つのボランティアセンターのうち、広島市安芸区は30日、三原市は12月1日に閉鎖しますが、坂町では土砂撤去の依頼がまだあるため、閉鎖の時期は決まっていません(29日)。被災地で休業していた店舗が閉店しました。安浦にある店舗のイズミのスーパーと坂町の広島信金の出張所です(16日)。
民間レベルで被災者を支援する活動も行われました。例えば、被災者の子どもに安佐北区で遊び場を提供する活動(13日)、広島市安芸区矢野の子ども会連絡会は子どもが外遊びを体験できるイベントを開催(19日)、心理学の専門家が被災者の心の状態や必要な配慮について語り、被災者の心に寄り添う対応の方法を紹介しました(19日)。被災した安佐北区白木町では運動場が使えないので体育館で運動会を催しました(20日)。安芸区の矢野小学校では被災児童に元気を届けるために本が寄贈されました(21日)。
熊野町川角の団地「大原ハイツ」の被災者団体「復興の会」による地域再建の活動も報じられました。熊野町の復興の会の代表は、岡山県倉敷市真備町の復興プロジェクト「あるく」の代表を訪問し、活動や課題について意見交換をしました(11日)。3回連載の検証記事でも「よみがえる団地」と題して、大原ハイツの団地住民が真備町の住民と交流し(17日)、弁護士などの専門家の支援を受け(18日)、町長や行政に要望を訴えて(19日)、模索し悩みながら活動を進める復興の会を紹介しました。
被災企業の復興支援へ向けて、広島銀行や中国銀行など被災3県の地方銀行が出資する、復興支援ファンドが設立されました(1日)。中国地方の企業は9月中間決算で、豪雨の影響による休業や設備修繕が響いて、減収、減益、赤字が相次ぎました(9、10、15日)。豪雨被害などで大手3社の損害保険の支払いは1兆1600億円に上る見込みです(20日)。10月のマツダの国内生産は前年同月比12%増で、西日本豪雨災害の前の水準に戻りました。
被災者救助の現場を検証する「西日本豪雨 救助者が見たあの日」と題して連載記事が始まりました。第1回は濁流に巻き込まれながら救助活動をした警察官のこと(27日)、第2回は同僚の被災を前にしながら、住民の避難を優先して現場から撤退した警察官のこと(29日)、第3回は災害派遣医療チーム(DMAT)が二次災害に遭う恐れの中で、どう優先順位を付けて現場にチームを派遣するか、という今後の検証を要する課題でした(30日)。この連載は12月にも続きます。広島県坂町小屋浦町が被災当時の行動を調査したところ、避難勧告2時間余までの避難率は1.9%であったことが分かりました(14日)。
以上のほかにも、本文の後に掲載した表「記事見出しデータ」から分かるように、被災と復旧に関連する出来事が報じられました。
(中島正博)