災害による広域避難者のコミュニティづくり

出典:朝日新聞(2011年3月17日)

前回の記事では東日本大震災の後、仮設住宅の避難住民が繋がり、コミュニティをつくった事例を紹介しました。今回の記事では、県外に広域避難した人たちのコミュニティづくりに関連する3つの事例を紹介します。(画像の県外避難者受け入れ状況は震災直後17日の時点です。)この3つの事例を通して、広域避難者の「コミュニティづくり」に共通する条件が浮き彫りになりました。その条件を紹介します。

広域避難をした被災者はどのような経験を通して、支援者たちと共にコミュニティづくりをしたのでしょうか。その経緯に注目するために、NHK地域づくりアーカイブスの動画を再生して、その解説や会話の音声を筆者が文字にした文章を以下に掲載します。(事例の文章は放送当時の音声のまま現在形で書いています。)動画(視聴5~10分程度)にはそれぞれの動画リンクからアクセスできます。事例は過去に放送された時点で進行中の内容です。現在それぞれの地域の状況は変化していることにご留意ください。他の事例も参照したい読者は私の記事「防災減災のための地域づくり No.4災害復興へコミュニティづくり」の中の「Ⅳ 災害復興へコミュニティづくり」➡「A.   コミュニティづくり」をご覧ください。

3つの事例を通して「コミュニティづくり」に共通する条件:その条件の第1は、私的ではない人びとの共的な「空間・場」の存在です。条件の第2は、人びとを「繋ぐ人」あるいは活動家の存在です。第1の共的な空間とは人と人が出会う場であり、事例1の避難者の交流会、事例2の交流サロン、事例3のバーチャル空間であるSNSのツイッターです。第2の人びとを「繋ぐ人」とは、事例1では全国に配置された「復興支援員」、事例2では自治会長の関根さん、事例3では長清水地区のリーダーの須藤さんが該当します。

事例1:バラバラに暮らす避難者のために復興支援員を全国に配置(2014年)原発事故で福島県浪江町の全町民が避難生活をしています。6000人以上が県外に避難し、全国45都道府県でバラバラに暮らしている。その支援のために浪江町は「復興支援員」を全国に28人配置している。埼玉では、埼玉県労働者福祉協議会の協力のもと、復興支援員4人が活動している。浪江町役場から提供された名簿を頼りに1軒1軒訪ねる。復興支援員も浪江町出身の避難者。埼玉県では定期的に避難者の交流会が開かれてきた。しかし参加する人が同じメンバーに限られてきている。戸別訪問を行い、孤立している人が多い地域で交流会を開く。交流会には浪江町以外の大熊町、楢葉町、南相馬市などからの人びとも参加している。「同じ避難した人だと話しやすい。誰にも話せなかった」。「家の中で寂しくしているより、良かったです」と交流会の参加者は言う。(NHK動画リンク広域避難者の心をつなぐ復興支援員」)

事例2:福島から東京へ避難した人たちの繋がりづくり(2014年)東京都中野区鷺宮の都営住宅には、福島からの避難者を中心におよそ100世帯250人を受け入れている。例えば双葉町出身の谷さん。谷さんは震災後退職し都営住宅に夫婦二人で暮らす。双葉町の自宅がいつも気がかりで、過去3年で12回通ってきた。自宅は長期間帰れない帰還困難区域に指定されている。さらに除染で出た放射性廃棄物などの中間貯蔵施設が作られる予定地に近い。この都営住宅では福島からの避難者を中心に毎週交流サロンが開かれているが、参加するメンバーはいつも同じ人に限られてきた。孤立する人たちが心配だ。自治会長の関根さんはそんな人たちに声をかけ続けている。「寄り添っていくにもそれぞれ事情があるので、どこまで相談相手になれるかと思う」。「よりそいホットライン 被災者支援ダイヤル」は24時間体制で全国から悩み事の相談を受ける。繋がりのなさと孤立感が長期に亘った場合、自殺念慮や孤立死の問題が起きる。中野区の都営住宅では避難者と地域住民との繋がりを作る工夫もしている。(NHK動画リンク広域避難者のつながりをつくる」)

事例3:故郷から離れていても町の復興への思いを仲間とSNSで共有する(2012年) 宮城県南三陸町の長清水地区にいた集落の仲間たちは、仮設住宅や避難先の各地で離れて暮らす人たちと、ツイッターで日常の出来事について頻繁にやり取りをしている。震災後に始めたツイッターに同じ地区出身の36人が登録している。離れていてもこうしてやり取りをすることでお互いを身近に感じて、心の繋がりが保てると遠藤さんはいう。阿部さんは仙台市内で働いている。みんなの書き込みを見れば、故郷がどれくらい復興したか、仲間の仕事がどこまで再開できたか、手に取るように分かる。故郷の状況を常に把握できるため、自らも復興に向けた活動に参加しやすくなる。阿部さんたちが暮らしていた、南三陸町の長清水地区で進められているのは、集落ごと近くの高台に移転する計画。かつて36軒あった住居の大半が流されてしまった。長清水地区のリーダーの須藤さんは近隣の店舗で美容師の仕事を続けている。集団移転でより良いまちづくりをするには、地域のみんなで情報を共有し、活発な議論を行う必要があると須藤さんは考えている。町が行った住民説明会の内容や、計画の進捗状況を事細かに発信する。SNSがコミュニティを維持する役割を果たしています。(NHK動画リンクツイッターを災害復興の支えに」)(中島正博)

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